3月11日

 震災と津波の跡を三陸海岸にいちはやく乗り込み、カメラマン藤原新二が撮影した写真に付された文章は、衝撃を受けた印象の韻律がそのまま反映されて読者に伝わる名文である。「アエラ」の震災写真特集号。

 神の存在を疑う、と彼は結ぶ。その感慨の深さは伝わってくるが、しかし、彼が考える神とはどんな神なのか。

 「いわしの頭も信心から」という日本的な神、人間がつくりあげた「はりぼて」と彼が断ずる神なのか。

 彼の中で「神も仏もあるものか」という呟きが、聞こえてくるような光景。

 藤原は「結局、神とは人間が作りあげた虚構」という結論に至ります。

 たしかに日本人のいう神とは、それなのでしょう。海辺の瓦礫の山は、彼には無神論の世界として拡がっていた、ということか。

 人類初の有人衛星飛行を成し遂げたユーリ・ガガーリンは「地球は青かった。私は宇宙に神はいるのかと見わたしてみたが、神はいなかった」との有名な言葉を吐きました。西側のキリスト教国の国民は、一同に驚きました。

 日本では、後半の言葉は報道されませんでした。そもそもキリスト教にも、神の存在をめぐる議論にも興味なく、なぜ科学の先端の宇宙飛行士がこんな言葉を吐いたのか、共産主義と資本主義のはざまで、キリスト教信仰こそが問題であった国際事情を理解していなかったからでしょう。

 むろん、ケネデイ大統領が1960年代に人類を月に送り出す、と宣言するにいたったのは、科学技術の進歩という栄誉を担ったのが唯物論の国の青年であったことへの挑戦でした。