被曝の世紀

 レントゲン博士がX線を発見した1896年以降、人類は被曝の世紀に入ったのだ。放射能という言葉は、キュリー夫人が造語した。ラジウムの発見と研究で二度のノーベル賞を受賞した彼女は、生涯ラジウムの青白い神秘的な光に魅惑されて研究に挺身し続け、熱中の余りにウランを素手で取り扱い、再生不良性白血病にかかって死んだ。「私は神の領域を侵した罰を受けた」と彼女は述懐した。これはプロメテウスの自覚である。

 放射性物質に魅了されたエジソンの助手も、X線透視機械を商品化して世界中に売りまくって癌で死んだ。多くの研究家、多くの詐欺師、多くの山師が、知識を持たずに放射性物質にかかわって癌で死んだ。明治の日本でも、見世物小屋でX線はデビューした。

 原爆と水爆の開発に狂奔した大国は、核実験を繰り返し、フォールアウトと呼ばれる放射能物質の地球的撒き散らしを繰り返して、ようやく放射能物質の猛毒性を認識しながらも、宇宙の微細な世界に隠されたエネルギーに魅了され、プルトニウムを死者の国からの富として蓄え、最も凶暴な武器として終末の引き金という神の権限さえ入手したものと信じた。自民党政権が原発推進した根底には、潜在的な核兵器保有へのオプションが誘惑として継続し、民主党になっても変わらなかった。

 医療の世界で、こんな便利なツールを手放せるわけがない。魔法が実現されたのだ。エネルギー産業も同様だ。

 原子力発電は、火力発電に接木しただけの未熟な錬金術である。不完全な巨大な湯沸かし器にすぎない。原理は単純だが、配管など冶金技術がついていかないのだ。放射能管理という責務は、見世物小屋の興行レベルからあまり成熟しなかった。しかし人間はプロメテウスから与えられた火を手放すことはないであろう。まだ謙虚な科学者にとってだけの研究室の段階なのだ。

 福島県は覚せい剤中毒患者のように、補助金行政に溺れた結果、ふるさとをみずから汚し、故郷を追われた。国と東電と感情的に呪う一方で、だれも自らの罪を自覚しない。ノーといえば拒絶できたはずだった。子孫の未来を売って、自分の世代の金を手にした。いまさら何を言っているのか。

 原発立地自治体の7割が、原発の維持に賛成だ。隣接する町村が過半数の反対ということは、金が出る出ない、という差によるのであって、福島県人の体験している苦渋と無縁なアンケートだろう。