水戸飛行学校時代 昭和17年 

新妻幸雄整備員
飛行服は軍から支給された。
原町飛行場への出勤は、高平の実家から毎朝、午前7時の始業までに自転車で通勤した。
自転車のタイヤなどは、優先的に現物を支給されていたという。

本家の新妻要も、父親もカメラや写真撮影の趣味で「光生会」というアマチュア写真クラブに入会しており、物資不足の戦時下でもフィルムは軍事物資のため市場などの市中には出回ることがなくなっても、地域社会で出征兵士の記念の家族写真を会が請け負って撮影することを条件に、フィルムを融通された、と新妻要が証言している。
「昭和史への旅」には、昭和9年当時の光生会の会長門馬直次郎宅(油屋)での例会の光景を撮影した一齣が記載されている。新妻要氏蔵。

勤皇隊の戦死者たち 左上が新妻幸雄整備員が機付で担当した増田良治隊員。慰霊祭に参加した遺族は新潟県から来て新妻氏に会い、どんな写真でよいから良治氏の写真が欲しいと乞われて、自分のアルバムから分け与えた。