8月15日。あのNHKの録音盤の正午のラジオ放送の音源が付録でついているというだけで、近所のCOOP方木田店の古書市のテントで、昭和史図鑑を全巻買った。今ならYOU TUBEで、いくらも拾える。何か映像にかぶせて、自分でドキュメンタリを作ったほうがいい。
昭和20年、1945年の8月15日。
原町飛行場には嘘のような話だが、ラジオというものがなかった。
原町の町内には、何か所も防空監視廠、というポイントがあった。その最大のものが、唯一の本町繁華街の中央に位置した油屋呉服店のコンクリート3階建ての屋上にあった。

油屋屋上

さて、飛行場のパイロットにも整備員にも、聞いてみたが、誰もが同じだった。
飛行場に、ラジオがなかった。
そのため、飛行場の周囲の農家で、ラジオのある家に集まって、玉音放送を聞かせてもらった。
数年前に作家のNさんを飛行場跡地に案内していた時に、近所の農家の某ひとみさんが、自転車を引いて歩いていたので、現場でインタビューしたら、案の定8月15日には、若い兵隊や整備員たちを民泊させており、正午ころには、ラジオの放送を聞かせたという。

別な機会に聞いたある集団は、陸前浜街道の国道沿いの大亀酒屋食堂で、ラジオを聞かせてもらったという。
けっこう漢籍古典に親しいくわしい者でなければ、天皇の朗読する詔勅の意味が分かった者はいなかった。
裕仁さんのイントネーションは、生まれて初めて聞くものにとっては、まるで宇宙人とのファースト・コンタクトのように感じる。原町で聴いた人口の何パーセントが理解できただろうか。

二年後の昭和22年。1947年8月22日に、原ノ町駅前広場で、お立ち台に上ってソフト帽を脱いで親しく国民の眼前にお姿を現している。
侍従の説明に「あっそう」と軽く答えたくらいの実況に、わが原町の先輩たちは、カルチャーショックを感じたであろうか。