原の町駅に降り立って

二上 英朗·2019年2月28日木曜日表示3件
安川弘が所属していた独立整備隊は100人のうち10名が朝鮮人だったという。青森県の演習場から陸士57期のパイロットたちとともに原町の原隊である鉾田飛行学校に戻ってきたのは8月15日以降だった。
「原の町駅に降り立ったときに目に入ったのは、盲爆された原町空襲の跡の道路の瓦礫の山でした。電柱から電線がちぎれて乱れて垂れていて、駅坑内のレールや枕木がこなごなになって吹き飛ばされていました」
と弘は語った。昭和57年に出版した「昭和史への旅」という本に書いた談話だ。
「原町空襲の記録」に続く原町私史3と冠したシリーズで、原町陸軍飛行場のものがたりを抄録した章に付加して、終戦の原町の姿を点描したものだ。
弘とキエの長男は、わたしの姉と同級生だ。昭和23年の生まれのねずみ年のはずだから、21年か22年という混乱の中でも戦後の復興の中で物資がなくとも町の未来は明るく、戦前の束縛や憂鬱な暗雲は晴れた青空の印象は太陽光にあふれた無垢で裸の手触りのある平和な町だったはずである。
天皇の人間宣言や日本国憲法の発布や公布。そうして昭和天皇の裕仁の常磐線巡幸など、原町駅前には万余の町民があふれかえった。

そんな時代に、整備兵だった弘は、勧められて安川キエと見合いをした。
キエは原町陸軍飛行場の鉾田飛行隊の学校事務を担当する町の有力者の娘で、安川トヨという女史の姪だった。資産家で教育者。申し分ない相手だ。
やがて、自宅の山林と宅地に、瀟洒なかわいらしい幼稚園の園舎が建てられ、戦後の牧歌的な幼稚園と言うものが始まった。昭和28年のことだった。