1の7 遊び仲間
 小学校入学前、4、5歳の頃よく遊んだのは同年代の大井歌子と早川貢だった。当時瓦がその地方の特産だったので瓦製造の工場や煉瓦屋さんが多かった。その材料である土を掘った跡は水がたまり人工池になった。 家の近くにはそのような池が無数にあった。 冬は氷が張り、夏は魚釣りができた。 あとで姉から聞かされたのだが貢はその人工池にはまって溺れ死んだのだった。私は死んだとは知らずに毎朝出かけて行って貢の名前を何度も呼んで、叱られて帰ってきた。死ぬということが分からなかったのだ。
 近所には同年代ぐらいの友達がいっぱいいて、彼らとグループになって野原や煉瓦屋の広場で草野球やピンポン、ベーゴマなどで遊んだ。近くの小川や沼でのフナ,ナマズ、カジカを釣り、 海の近くの川でハヤ釣り、田んぼでのドジョウとり、秋には柴栗拾い、きのことりなどと山や川を井東君と兄の3人でよく巡り歩いた。
 その井東好太郎くんも中学卒業と同時に集団就職列車で上京し、東京墨田区の鉄工所に就職した。生涯の友となった井東君は現在千葉県野田市で明治製菓定年退職後悠々自適の生活をしている。

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