1の2 小学生時代
 昭和18年母に連れられて国民学校初等科に入学したが、今振り返ると小学校から大学まで続く最も大切な成長期が戦争によってメチャクチャにされるというおぞましい悲劇の始まりだったのだ。入学式には母が着物を着て出席してくれた。1年2組、胸に黄色い名札を付けてもらった。担任の先生は佐藤敬一先生だった。中学3年の時相馬中村でバレーボールの試合があり審判が佐藤先生で、私の名前を覚えて下さった。感動した。
 小学校(国民学校)2年生、3年生のときの担任は相馬中学を卒業したばかりの若干18歳の代用教員だった。門馬 道仲 先生と言うが、そのあと戦後、福島大学を卒業するとすぐに私達が中学1年に入学したときに又担任の先生になった。まったく奇遇である。
 国民学校入学と同時に担任の先生に一番大事なことと言って教わったのは「忠孝一致」、「打ちてし止まん」の言葉であった。
昭和16年12月8日、日本はハワイのパールハーバー港でアメリカ海軍に奇襲攻撃をかけ宣戦布告した。開戦直後は日本は飛ぶ鳥を落とす勢いで「勝った、勝った」と祝勝ムードだったが二年ほどするとアメリカが反撃に転じ日本はビルマ、シンガポール、フィリッピン、中国などからの撤退や食料・弾薬不足による玉砕(全滅)が相次いだ。アッツ島、サイパン、硫黄島等の玉砕、沖縄戦の敗退と相次ぎ原子爆弾が投下され、国民学校二年生になった昭和19年の中ごろ日本国内でも戦況悪化に比例して一般国民の生活も極端に悪化した。我が大甕村も例外ではなく日に日に食べるものが無くなっていった。前から米の供出制度はあったが米が底をつくとサツマイモまで供出せよとの命令が下された。軍国主義が幅をきかしており「隣近所で助け合い」の目的で作らされた「となりぐみ(隣組)」が今では相互監視の密告制度と化していた。
 畑に家で食べる分としてわずかばかりのサツマイモを隠していて、それが発覚すると駐在所の巡査と憲兵隊が乗り込んできて農業者を鞭打ちして懲らしめるということが頻繁にあった。父が勤めに行くのに満足な弁当など作ることは毛頭不可能で、せいぜいジャガイモを2、3個新聞紙に包んでいくのがやっとだった。食料不足、物不足の世の中となり極端なインフレも生活悪化に輪を掛けた。父の給料では足りず、母は大事にしていた自分の着物を売って食べ物に代えたが大した量にはならず売るべき品物もすぐ底を突いた。小学2年頃になると母は私が学校から帰るのを待って良く着物と米や芋などと交換に行った、夕方遠くから風呂に入って歌っている「長崎物語」が聞こえてきた。歌は「赤い花なら曼珠沙華 オランダ屋敷に雨が降る 濡れて泣いてるジャガタラお春 未練の出船のらーら鐘がなる 鐘が鳴る」。特に我が家は大家族だったので親としても子らを食べさせていくのは至難の業だった。
同じ原町国民学校を卒業した人で中野 巌という先輩がいた。その人は小学校を終わると航空兵となり沖縄で特攻隊として戦死した。そして彼を「軍神」とあがめバンザイ、バンザイと祝福し、彼に続けとの報国ムードが蔓延していた。
戦争の状況は日本軍の「検閲」によって彼らに都合の良い記事しか新聞やラジオで報じられなかった。
生徒の服装は軍服に似た国防色(カーキ色)に戦闘帽、女性はもんぺ姿だった。防空頭巾と上着には名札を付け輸血に必要なため血液型を書くのが義務付けられていた。
 三年生になると体操の時間には手旗信号習と軍人勅諭、歴代天皇の名前を覚えること、冬は教室の机を全部後ろに寄せて直径2.5メートルくらいの円を描いて座り相撲の勝ち抜き戦をやらされた。負けた者が残るやり方で,とにかく相手の頭を床にぶつけるまでの勝負でいつも最後まで残るのは榊原という頭の大きな級友だった。泣きながら家に帰って行くのが可愛いそうで仕方がなかった。小学校6年の研究発表会のパートナーに榊原君を指名した、卒業写真では私の隣に立っている。先生はいつも「軍隊のこと見てみ」といっては制裁を加えていた。朝鮮人が3人いたが常にいじめの対象になっていた。
 ラジオでは毎日軍艦マーチに続いて「大本営発表、大本営発表:我が日本軍は敵巡洋艦三隻轟沈せりとか敵航空母艦二隻撃沈せり、我が軍の損害軽微なり」などと戦果を高らかに報じていた。実際はまったくのデタラメで昭和十九年はすでに引き返すことができないほど敗戦色が濃くなっていたのだ。
 戦況も厳しくなってくると毎日のように原町駅から出征軍人が愛国婦人会と隣組の人に見送られて北へ南へと列車が発った。北原の青年という青年は赤紙一枚でどんどん召集されていった。手塚煉瓦工場の山手の桜の下で召集令の出た数人が「恩師の煙草を頂いて」を歌っている姿が子供ながら淋しく感じた。きっと歌の文句は「恩師の煙草を頂いて、明日は行くぞと君が代は 荒野の風も生臭く ぐっとを睨んだ星空に 星は瞬く2つ3つ」。

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