金子勝1987 133~234
鈴木はプロテスタントの父母の影響で、相馬中学校のに入学するために小高区を離れるまで、姉瑛子や母とともに毎日曜日に小高教会に通い、聖書の勉強に励んでいた。

瑛子は杉山についての思い出を書き綴っている。瑛子によれば、「熱心なクリスチャンとして一生をすごすよう、殊にてるの教育には心して当分はうそをつかせぬよう、つかぬように」という亡父(余生のこと)の遺した言葉によるとはいえ、当時女子教育など思いもよらないという時代に、私の教育に心を砕いた母親を励まし宮城女子学校(現宮城学院)へ学費免除、給付生として御推薦くだすったのは杉山先生でした」

また瑛子は「先生はわたしの弟の安蔵にも心をよせられて、「やあ坊」とよんで、クリスマスのあいさつをさせられたことなどが思い出される」と述べている。農村だより 第二号 1966年2月 3ページ
こうしたことからも、鈴木が幼いころから姉とともに杉山から目を掛けられていたことがうかがえるだろう。

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