気軽な人柄もった 杉山のおんちゃん
 「杉山さんが、農民の集まりを通じて、ぜんぜんキリスト教の話をしなかったように言う人がありますが、それは杉山さんが有名になってから知らない人が言っているんじゃないですか。私の記憶では、杉山さんはどんな集まりでも会の最後に必ず、私に五、六分時間をくれ、と言って農業の話などに結び付けてキリストの話をしておられたはずです。戦後、信仰の事由が保証されてからは、もっぱらキリストの話ばかりされていました、と鈴木七郎さん。
 「杉山さんというより、杉山のおんちゃん、と読んでいました。みんなに親しまれた人でしたね。杉山さんは決してああしなさい、こうしなさいと、いわゆる指導というふうなことはなさらなかったです。どんな計画でも、たとえばトマトを作ってみたいんだが、どうだろう、という提案の形でみんなにはかるんです。一緒に農村問題を考えゆこう、というのがあの人のやり方」
 杉山元治郎の農民運動家としての特徴はここにある。農民の主体性に基本的は運動の原点を置くというやり方だ。
「小高を去って、青山にいる時にも、小高に呼ばれてたびたび相談に気軽に応じてはくれたが、一つの問題に対して結論を出さず、デンマークの農民組合に関する本などを紹介して、あくまで土地の農民が自分たちの判断で対処することを考えていたようです」
 
代議士の苦労も
 代議士になってからの杉山は、現実的な政治舞台で苦労したらしいが、そのころ杉山と会ったことのある元原町教会牧師成瀬高氏はこう語る。
 「杉山さんは、政治というものは、時として黒を白、白を黒と言いくるめるような弁舌の技術も必要なんですよ、と言っていたけれども、政治の悩みはあったでしょうね」
 「土地と自由のために」と題する杉山元治郎自叙伝に収録されている国会演説「農村の窮乏を訴う」(小作法を制定せよ)、「軍事予算に反対する」等を読んでみると、その農村問題のエキスパートとしての該博さは、政治当局者の答弁に比較して圧倒的な印象を受ける。
 その格調高い論旨は常に底辺の農民の立場に立っている。民衆の声を代弁する政治家としての面目躍如たるものがあり、感動的ですらある。
 小高で農民組合運動の播種期を体験した杉山は、ついにキリスト教社会主義の黎明期の巨星として、その全生涯を農民とともに苦しみ、戦い、そして生きたのであった。
 昭和51年 相双新報より「郷土の先行者たち 第五回」

第二部へつづく
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