山野虎市牧師

山野虎市牧師は、明治学院神学部を卒業している。賀川豊彦の先輩で、同期生に、小説「煉瓦の雨」で朝日新聞社に応募、小説一等当選で一躍有名になった沖野岩三郎がおり、またアナーキストになり、大東亜戦争以後東洋的汎神論に傾いた作家、加藤一夫とも同期生であった。三人とも紀州新宮出身で、青年時代に内村鑑三の感化影響を受けて上京し、明治学院神学部にはいったのであった。
山野虎市については数々のエピソードが伝えられている。彼は、はじめ法律家になろうと志してその学校にはいったが、法律が人間の良心まで律し得ないことを悟って、所持する法律書籍を悉く焼き払い、基督教の伝道者になろうと志したということ。また、関西伝道中、集会のあとに、ある信者が再臨の時、雲から姿をあらわされるとすれぱ、イエスの何がはじめに拝することができましょうか。」と愚問を発した。
一宣教師が山野虎市に「基督の再臨のときは何が一番先に現われますか。」と問うたところ、山野は平然として「まず褌が現われます。」と奇矯な一言を発した。このことが謹厳な宣教師ローガンを怒らしめたこと。それがために追われ、東北伝道の開拓地に赴任することとなったこと。神学生時代にはもう妻を娶っていたが、夏期中の応援伝道に行っているとき妻に一文も送金しなかったので、妻は餓死寸前に近かったこと等々。そのようなことを思い合わせると、自づと山野虎市の人物をおしはかることが出来る。

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