原町無線塔、朝日座など福島県南相馬市原町区(旧原町市)の文献を公開

回顧録 高野光雄

-     回顧録 高野光雄・祥子
目次
一、 少年時代
1の1 生い立ち
1の2 小学時代
1の3 疎開者
1の4 敗戦
1の5 戦後の大混乱
1の6 中学時代
1の7 遊び仲間
   1の8 私とキリスト教
   1の9 風呂
    1の10冠婚葬祭
    1の11アルバイト
    
二.家族、先祖
2の1 父母、光雄(高野家)・祥子(小倉家)
2の2 長兄
2の3 次兄
2の4 三兄
2の5 長姉
2の6 次姉
三.高校時代
四.大学時代
五.就職
六.父の死とブラジル移住決意
七.横浜港からサントス港へ
八.ブラジルでの生活
   8の1.サントス港
8の2.最初の移住地ロンドリーナ
 8の3.アサイ
   8の4.ローランジャ,タマラーナ
8の5.アストルガ
   8の7.アラポンガス
   8の8.ポルトアレグレ
8の9. ヴィアモン・イスタンシアグランデ
   8の10.再度ポルトアレグレ(結婚)
   8の11.イリオッタ
   8の12.ブルメナウ・イトパ―ヴァセントラール 
   8の13.バストス
   8の14.ジョアン ラマーリョ
   8の15.グゥアラミリン
   8の16.イエペー
   8の17.クリチーバ
九.帰国
   9の1.第一回目の帰国
   9の2.第二回目の帰国
   9の3.第三回目の帰国
私の古稀の頃(2006年)頃から子孫に伝えるため回顧録なるものを書くことを思い立ち、思い出すままに書き留めてみた。2012年(平成24年9月24日に脳梗塞を患い、沢渡温泉病院を退院して戻って来た時)になっても完結出来ずに時間がどんどん過ぎてゆく。メモを取り始めて6年、私達一族に大転機が訪れた。一昨年暮れのリーマンズショックにより日本も大不況に巻き込まれブラジル学校を支えていた直接には(有)CNB,のフコクの派遣社員0にされ、間接的には生徒の親たちが首を切られ学校経営が行き詰まった。日伯学園建て直しの為の江梨香のブラジル進出(2011.3.8.)現在江梨香を先頭に阿部・幸男がブラジル進出した事業はブラジルサイドで資金を調達しながら頑張っているが、まだ利益を見るまでに至っていない。そして昨年(2011)3月11日の東日本大震災であり原発事故、事故に巻き込まれた長兄国雄の死、今年の(2012)年5月24日、私自身が脳梗塞で倒れ、熊谷市の関東脳神経外科病院への入院、その後太田市の加曽利接骨院でのリハビリ、(2012)年7月10日にリハビリの為中之条町の沢渡温泉病院に入院、(2012)年8月8日退院、戻って加曾利接骨院でのリハビリ、やっとのことで決まった「カガヤキ」でのリハビリを毎週水。金の二回受けられるようになった。とは言っても100%良くなることは望めない、ようやく下手な字だがゆっくりなら書くことが出来、パソコンを使える様になった。そういった中で自分の回顧録をまとめて、何とか完結して子孫に残そうと思っている。私の兄弟は6人、次兄が一番先、約10年前ブラジルで大往生。二番目に長兄が逝った、必ずしも古い順からではないらしい。
長姉は(2013年)は87歳、元気なものだ。次姉は(2013年)83歳、サンパウロ在住の私より1歳上の勝義兄貴は人口透析中。長女久美と次女の美樹は未婚だ、二人で両親を見ているようなものだ、義則が時々病院に連れて行ってくれるそうだ、
妻祥子の半生は生い立ちから私と結婚するまでを1編としてまとめ、結婚後は二人が共に歩んで来た足跡と云うことに纏めたい。一遍は日本を出る時まで、二編はブラジルでの生活、三篇目は日本に戻ってからの事を記する。

はらまちキリスト教100年史

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