門馬尚経(もんま・なおつね)
「1880 年代教育史研究会」Newsletter Vol.11/2005.03.26
門馬は相馬藩士で、民権運動に参加して立 憲改進党員となり、晩年には福島県から衆議 院議員にも選出されたが、今日ほとんど忘れられた人物で、まとまった小伝すらない。しかし、私には民権運動史および教育史の観点から、三つの点で以前より気がかりな人物で あった。第一は、1879年に福島県石川郡石川村(現石川町)で第二嚶鳴社を結成したことである。これは、東京の代表的民権結社である嚶鳴社(島田三郎もここに所属した)の最 初の地方支社であった。門馬はいつからか東京の嚶鳴社員にもなっている。第二は、81年 に文部省十等出仕となって、「改正教育令」制定直後の島田三郎の同僚(部下)となった ことである。第三は、82 年に東京専門学校(現 早稲田大学)が創立されると、会計委員(今 の監事か)になったことである。第二・第三 点は、背景に民権家としてのパイプが考えら れるが、教育史の問題でもあることは言うまでもない。これらの実態とその意味するとこ ろは、私がまだ十分調べることを怠けている 宿題の一つなのであるが、その門馬が安場と 深くつながった、草創期福島県における教育史上の重要人物でもあることを「発見」したのは、安場の教育方面の事績を洗っている途
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上であった。以下、福島県歴史資料館所蔵「福島県庁文書」、『福師創立六十年』(福島県師範学校、1933年)などからその概略を紹介してみたい。
安場は福島赴任後に学制発布をうけ、まず小学校の設置と入学の勧奨とを進めていった。 73年2月には福島町に福島小学校を設け、正副戸長に入校日を子弟のある保護者に洩れな く伝えるよう布達している。次に、その小学校教員の養成を急務とし、安場は73年7月、 文部省三等出仕田中不二麿宛てに小学校教員派遣を願う伺いを提出した。それによれば、 県下には学制に応えられるような小学校教員がいないため、「教授の手順」を示すことが 出来る指導的小学校教員二名を文部省が選んで派出して欲しいというものであった。しか し文部省は、東京師範学校卒業生が出るに従い順次派出する、という回答を寄越したにと どまった。そこで安場は、同年10月、県学務主任杉本正徳に命じ、福島小学校教員から代表を選び、直接東京に送って教授法を習得させようとしたのである。その時選ばれた三人 の教員の内の一人が、まさに門馬尚経その人
なのであった。あの門馬は、そもそも福島小学校の優秀な先生なのであった。
門馬らは安場と共に上京し、東京師範学校 の教授法を参観し、次いで東京府小学講習所で授業方法を学んだ。しかし、早くも 74年4 月には東京師範学校得業生の久米由太郎(作家久米正雄の父)が文部省から派遣され、75 年には久米を中心として福島県教員講習所(現福島大学教育学部)が開校するから、彼らの東京での努力が福島県の教育にどこまで生かされたのかは疑問である。実際、福島県の教育史には帰郷後の彼らの足跡は残されていない。その後、前述のように門馬は、なぜか福島町から遠く離れた石川郡石川村の運動家として民権運動史に浮上して来るのである。
今回、門馬に福島小学校教員時代があったことを知り、文部省や東京専門学校時代はそ の延長線上にある、と考えたくなった。福島から東京へと延びた「教育」という連続性が 仮想出来るように思われる。どのような内実かは心許ないものがあるが、門馬の前半生を貫く線であろう。いずれ、門馬の宿題は、別な大きな観点から果たしたいと考えている。
福井淳

帝国議会衆議院公害関係議事目録
凡 例

1、戦前の衆議院において公害問題がどのように国政上の議論の対象となっていたか知るために、この目録を作成しました。
2、掲載は年月日順にしました。
2、出典は官報号外(衆議院議事速記録)で、内容を確認しながら作成していますが、見落としもあるものと思います。将来補正していければと思っています。
3、 内容欄で(  )に括った記述は、官報号外の見出し等になく、私の追加した補足です。
4、議事録の本文については、官報号外におけるそれぞれの記事に当たってください。
〔注〕
(番号) 西暦 年月日 〔種類〕 内容  発言または提出者名
官報号外号数(ページ)                           の順に記載しています。
(19) 1898 明治31年12月10日 〔質問書〕 足尾銅山鉱業被害民及国民ノ請願陳情及県会建議及衆議院質問ニ対シ当局大臣責任ヲ重ンセサル儀ニ付キ質問  田中正造ほか17名
第13回第5号(2-8)
http://www.jttk.zaq.ne.jp/bacas400/inareki/kankyosi/gijimoku.htm

市政専門図書館のご案内 – 文献目録・文書目録 | 公益財団法人 … http://www.timr.or.jp/library/mokuroku-gotoh.html
www.timr.or.jp › 市政専門図書館のご案内 › 文献目録・文書目録
011010, R-11, 4-7, 内務省衛生局時代, 書状・その他(借用金関係), 門馬尚経より後藤新平宛, 明治廿六年一月一日. 011011 ..

みすず書房
http://www.msz.co.jp/book/detail/08210.html
大隈重信関係文書 10
まつ―よこ
編早稲田大学大学史資料センター
「然るに此の時に当て縦令ひ一院の多数を占め決議を左右する実力ありとも、特に一党之首領を挙けて政局之首班に任せんか、近時政界之趨勢に鑑みて豈能く国内之一致共同を望むを得んや」
(山県有朋書翰、大正5年4月)
大正5年4月は第二次大隈内閣の末期であり、大隈は後継者として立憲同志会総裁加藤高明を考えていた。これに対し元老山県有朋が、世界大戦の中での政界で一政党の党首が組閣することに反対の意向を示した書翰である。政党内閣に対する大隈と山県のスタンスの差が顕著に表れた貴重な資料である。

政治家で早稲田大学の創設者・大隈重信(1838-1922)に宛てた書翰6000通あまりを翻刻・編纂し、近代日本研究に寄与する新たな資料集の第10巻。本巻には他に、矢野文雄(龍渓)の質料ともに重要な127通を中心に、陸奥宗光41通、山口尚芳54通、さらに箕浦勝人、森有礼、山尾庸三の書翰など、170名・726通を収録。全11巻。

鶴巻孝雄研究室・日本近代成立期(移行期)研究のページ【5】
自由民権研究
http://www006.upp.so-net.ne.jp/tsuru-hp/minnkenn/m-top.htm
元老院時代の建白書と建白制度
――『明治建白書集成』明治12~15年を読むために――
http://www006.upp.so-net.ne.jp/tsuru-hp/minnkenn/m-kennpakusyokaisetsu.htm
福島県士族門馬尚経の「国会ヲ開設シテ人民ニ参政ノ権ヲ与ヘラレンコトヲ請フ儀」(4 …

[PDF]河野広中関係文書目録 – 国立国会図書館
https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/tmp/index_konohironaka.pdf
門馬尚経書簡. 4通. 931. 94. 18

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