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半谷清寿 著述による闘い 

著述による闘い

明治二十七年、常磐線開通のため土地買収が始まり、小高地区では不当に安い地価を交渉によって半谷清寿が引き上げさせたものの、これをめぐって対立する鉄道会社側の一派によってしばしば襲撃された。
明治三十一年に鉄道は開通したが、土地買収に関して福島市の某弁護士から告訴され、投獄の理由も告げられず、未決囚のまま清寿は八か月間もの長期にわたって独房に拘置され、不衛生のため半眼を失明する。完全ないやがらせだった。
伝記とはいえ、「東北の人」の記述は、きわめて小説的な手法による読み物としての文体なので、この獄中の清寿の心理描写は、いわば同書のヤマ場である。
そしておお聞く、彼の人生は折り返し点を迎えたようにここで屈曲する。
ここまでが、人生の前半であるがのごときである。

過去に多くの思想家や革命家が、獄中で自己の内省ともいうべき集中的な体験を経て、より思索を深めるという人生パターンがあるようだ。
共通するのは彼等が先ず実践家であったという点だろう。
日蓮が流刑地の佐渡から弟子たちに書き送った書簡は、彼の信仰世界にとっても絶品のものとなったし、レーニンが獄中でエンゲルスの哲学書を読みながら余白にメモした覚書は、のちに重要な彼の著述の基礎になった。
激しく活動する人間にとって、獄中とはまさしく静寂な思索の時を与える天与の場所であるようだ。
半谷清寿にとっても八か月にわたる獄中生活は、一方で片目を失明するという損失はあったが、それと引き換えに人間の根幹への内省をもたらし、深い思想的裏付けをもたらした。
小説としての「東北の人」は、この獄中の清寿の内心の魂の自問自答を鮮やかに描いている。
郷土の後進性を救うためには、ついにビジネスにおける救済を超えて、魂そのものの救済というテーマにまで発展しなければならなかった。
彼の事業的な成功は、与えられた舞台の小さいことを考えれば、望外の大収穫であったが、決定的永続的な基礎とはならなかった。
彼の真の願目を果たすためには、どうしても郷土の復興にとどまらず、東北全体、日本全体の変革という巨視的規模での問題を解決しなければならぬ必要を、ことさら投獄事件という人生の一大事件において痛感した。
のちに代表作「将来の東北」を著述し、発表するに及んで、その公刊について「将来之東北を世に公けにする理由」と題して、真意を述べている文章があるが、これによると、
「余は東北の一野人として相馬の小天地以外殆んど社会の広さを知らず、国家の大なるを識らざる者ならば、東北の将来如何といふが如き大問題に対して意見を発表せんとするが如きは素と其の志にあらず」
「唯余は地方の有志と共に如何にかして相馬を発展せしめんと欲し、種々なる事業を計画し刻苦已に二十余年に及びたれども、其の結果は予想と相反し人を労し己れを苦しめたる割合には、地方を利すること極めて微々たるものにして之を語るだに愧づべきの至りなり」
と述懐し、明治十九年以来、羽二重事業を相馬に興して二十年に至っても、算額わずかに百万円にしか満たず、後発の福井は二千万円、加州は一千五百万円にものぼる実態を例示し、その原因が、
「相馬の事業勃興に不適合なるは独り相馬其の地方のみの罪にあらずして、四囲の常態亦相馬をして独り他に抜いでて発達するを許さざるの事情なり」
として、これを打破するためにこそ
「是に於てか勢ひ東北の発達を謀り之れと共に相馬をも発達せしめ、以て今日まで有志と共に企画し来れる相馬の事業を盛んならしむる外なきを覚知し、終に本書を公けにせんとするに至れりものなり」
と公刊の動機を明らかにする。
以下には、自分の生涯と事業を回顧しながら、いかに郷土の相馬を興すために励んできた経緯が苦闘の連続であったかを列挙し、自分の失敗が、より広い視野の東北開発の研究の必要を気づかせ、東北繁栄によってのみ小宇宙相馬の救済も可なり、と結論する。
汗と脂で作り上げられた土の理論、重厚な土からの発言として、半谷の生涯と命を賭けての著述とは、まさにそれである。

はらのまち100年史

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