斎藤浦子(旧姓大曲)

 大正十二年と言えば今から六十年も前のことで、とうじ小学生だった私の頭にどれだけの記憶が残っているか心許ない限りでございますが、思い出すまま記してみたいと存じます。
 私の郷里は福島県相馬郡小高町という小さい町で、父が安田銀行浅草支店長として赴任することになり、一家を挙げて折角祖父母の築いた家屋敷を手放し上京しましたのは大正十一年十二月、私が小学校五年の時でございました。あの時の喜びは言い表しようもございませんでした。憧れの東京でございましたから。
 最初の寓居は親類の住む巣鴨という処で、翌大正十二年やはり巣鴨に新居を建て、小学校も巣鴨に転入していた訳でございます。 
 九月一日は新学期の始まりで、午前中は始業式、午後から体格検査をするから昼食を済ましてすぐ引き返すようにとのことで、帰宅してお膳に向い、一と口にた口ご飯を口にしたときでございました。何やら地鳴りのような音がしたと思うとグラグラっと異様な震動が来て、私は何が何やら判らず、裸足で表へ飛び出しました。廻りの景色がぐるぐる動いていて、私の体は遊動円木に乗っている心地でした。母は天ぷら鍋を抱えウロウロしていましたが、すぐ鍋を土間に置き、中風で寝ている祖母を抱えて裏の畑へ避難しました。やっと地震だったのかとこんな物凄さを初めて味わった私は、震動の収まるのを待って部屋へ戻ってみましたら、開けっ放しのお櫃の中のご飯は一面壁土に覆われて居りました。