原町無線塔、朝日座など福島県南相馬市原町区(旧原町市)の文献を公開

M41 大正天皇が東宮時代に野馬追を台覧

明治41年10月10日・福島民報
原町特電(九日午後特派員発)
▲台覧野馬追壮観
東宮殿下は午後零時二十五分御着有位有勲者高等官軍人団学校職員生徒其他各団体の奉迎を受けらせられ五十五分牛来山御座所に入らせらるる国道に集まれる甲胃の騎馬三千余総大将指揮の下に雲雀ケ原に入りて整列す総大将は右に控え侍大将は前に立ち各隊大将順次右より左に整列せるが第一隊は青旗を指し第二隊は黄旗を指し第三隊は赤旗を指し第四隊は白旗を指し部伍整然たり一発の煙花を相図に数頭の野馬を追ひ放ち旗取の競争を始めたるか三千の騎馬馬を縦横に駆逐し鞭を挙げて旗を争ふの状○に壮絶を極む
殿下は終始御機嫌麗しく二時五十分御下山あり三時二十分御車にて富岡町に向はせ玉ふ此の日天気快晴騎馬町内を駆け廻くり甲胃旗差物日に輝き人目を驚かせり此の壮観を観んとて昨夜来当町に入り込める人々には拾数万の上に出て旅舎なかりし為め露宿したもの多し
其の盛況想ふべし相馬子爵には仙台より宮廷列車に陪乗し当町に来らせらる

「午後零時二十五分御着」で「三時二十分御車にて富岡町に向はせ玉ふ」だから、すなわち原町には全体で三時間のご滞在という訳だ。
本題の野馬追見物は「(零蒔)五十五分牛来山御座所に入らせらるる」から「二時五十分御下山あり」だから正味約二時間である。
現代でも、神旗争奪戦というアトラクションを二、三発みると、バスや特急の時刻を気にした観客は二時三十丹頃にぞろぞろと下山する。そして三時四十分の特急に乗り掃京するというパターンは、この頃からあった訳である。お客さまは神様というが、現代の観客もまた皇太子なみのスケジュールである。
原の町行啓(詳報)
▲殿下御着  東宮殿下には予報の如く九日午後零時二十五分相馬郡原町停箪場に入らせ
らるる、晩より先同町民は此の千載一遇の光栄を記念せんと金指郡長佐藤前町長以下有志の諸氏極めて熱心に奉迎準備に努め停車場前には大緑門を建て、紫の草花を以て『奉迎』の二字を表はし、其町端より雲雀野に通ずる曲角にも杉葉の四阿(あづまや)を建て、鉄道庁は特に停車場を黒白の幔幕にて包み○ 粗漏の無からん事を務めたり、殿下には仙台市迄奉迎せる本県西沢知事、相馬旧藩主順胤子、奉送の伊達子等を陪乗せしめられ、停車場に入らせ給ふや、ここに数発の煙火は打ち揚げられ、○(やが)て御車に召されられ石井原警察署長先駆、西沢知事響導、侍従長以下の供奉員を随へさせられ、有爵者高等官、在郷軍人団、各学校其他の奉迎を受けさせられ、各団体には一々挙手の答礼を給ひて雲雀が原に向はせらるる、此日天気晴朗、秋風の僅かに御衣を払ふありしが学校生徒には安積中学校、磐城女学校、宮城県丸森校等十数里の道を遠しとせずして奉迎せるあり、沿道全く湧くが如き歓迎を受けさせられ、其原町に差懸らせられ牛来山下において愛国婦人会員並に百十三名の萬齢者に挙手の礼を賜ひ、同五十五分予期の如く牛来山なる御座頭に入らせらる、此日の奉迎者無慮十数万人と称され町内停車場より原に致る沿道は全く入を以て埋められたり。
騎馬行列到る此より先き当日の野馬追に参加す可き騎馬武者は午前七時を以て出陣の要意を為し、八時集合し、御召車の停車場に着くに先立ち鉄道線路に沿ふ国道に整列して御車を奉迎し、御後に供奉して原に入る、時正に殿下鶴座所に入御ありて数分を出でざる時にして、蜘蛛の子を散らせし如く原町に参集せる群衆を縫ひ警護の警官消防夫の間を徐々として練り来る二千騎の騎馬武者、思ひ思ひの甲胃に、旗差物を秋風に翻して野に入るや、馬の嘶き、草摺れの音野に満ちて野は忽ちにして活気の躍然たるを覚ゆ、行列は先乗、物頭、鉄砲、弓、小鳥毛、明白旗に次いで相馬家の旗印たる黒地日の丸、青旗、黄旗、赤旗、白旗、黒旗、大龍旗、馬印、野馬団、螺役、陣太鼓、軍者、使番、持筒、持弓、兜、熊毛槍、兼大目付等にて此に次で総大将相馬胤○氏黒地日の丸・紫白丸指・長蛇旗・用人・侍大将・中間・兼勘定奉行、中頭、中ノ郷騎馬、組頭、郡代家老中頭、中目付、小高郷、標葉郡へ北郷、中村騎馬等にて何れも相馬家故例にならひたるものなりしが、郡下の御座所下を通るや、殿下は態々西沢知事を召し給ひ、相馬子を召し給ひ、相馬子爵は殿下に呎尺して行列其の他の事ども一々御下問に答え奉れり、而も此時西風刻一刻吹き荒み、西の空さへ曇りし天候不穏に兆したれば供奉の人々は堪えずして幕の裡に潜むもありしが殿下は独り厳然として御座所に控へ熱心に行列を御覧遊ばされしも、供奉の者より余りの冷気に風烈しければと申し上げ強て御座所裏に椅子を奉りここにて御覧ありしが、折悪しく一陣の強風雨を孕んで来たり
玉肌を冒し奉りたるは畏れ多き極みなりし、
▲野馬追始る 斯くて騎馬に一行は場の中央に定めの陣立を為せば、折しも響く法螺の音に、西南の一方追ひ込み来る数頭の野馬、素被と許りに騎馬陣を乱して駈け出せば、場の一角よりは煙火打ち揚げられて大旗中空に翻り風に従って飛び来るを我こそと手に手に鞭を打振りうちふり追ひ廻る斯て野馬追はここに開始されたる也。(中略)
▲旗印を召さる 此の有様を御覧遊ばされたる殿下は甚だ興ある事に思召されて再び座を御座所内に戻されられ極めて熱心に御覧遊ばされしが西沢知事に饗はせられ彼の旗印と人名を知らせよと仰せ出されるより直ちに用意の旗印と人名簿とを奉りしに御持返りの栄光を得たり、
▲写真を召さる 殿下は又御覧の間に此の光景を写真に取りては如何との仰せもありしが殿下の御前畏れ多しと申し奉りしに殿下は撮れとの仰せありしより、知事は原の町写真師に命じて之を数葉撮影せり殿下の御心の御広さを察し奉るべし
▲殿下御還御 斯て殿下には午後二時五十分牛来山を下らせられ再び御召車にて沿道前記の奉迎を受けさせられ午後三時二十分原町停車場御発車富岡の御旅館へと向はせられたり

この時の様子を、沿道で東宮到着を迎える群衆の中に、押釜から見物に来ていた小沢トリさんがいて、あざやかに記憶を語ってくれた。
「(偉い人が来るからと)道にならばされて、旗を振って見た。(人力)車に乗って来た。顔の細い人だった。」
と。
「▲写真を召さる」の記事にあるとおり、「殿下は又御覧の間に此の光景を写真に取りては如何との仰せもありしが殿下の御前畏れ多しと申し奉りしに殿下は撮れとの仰せありしより、知事は原の町写真師に命じて之を数葉撮影せり」
撮影のために準備していたにもかかわらず東宮の前では遠慮してかしこまっていた写真師に、東宮は「撮れ」と命じて撮影させた。原の町写真師というのは、実は地元の人ではなくて、福島市から来ていた鈴木写真館であった。この時の写真は、記念誌にまとめられているが、茫漠たる野原の一直線の道を繰り出す野馬追行列の瞬間が大きな俯瞰でとらえられている。

 

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