明治34年 町の名になった佐藤太之助
明治34年に徳助の祖父佐藤太之助翁が死去した。
町の人々はこの功労者の功績を讃えて町の名に残すことを建言し、町長だった徳助はこれを容れて原町の一画に命名。現在の旭公園の北側一体がそれ。のちの旭公園は、当初太之助公園と呼ばれていた。
前掲「歌のはらのまち」には「夜の森公園」につづいて「太之助公園」について言及がある。
太之助公園は駅通り太之助町南側にあり、松と桜の古木は植樹翁と云われた太之助老の植えたもので、広場は野球場や子供遊園地として喜ばれ、噴水と貯水池は火防と夏の夕涼み、祭事には流山踊りの道場となり今更ながら故人の徳が偲ばれます。元町長佐藤信成氏の曽祖父に当る人であります。
禿げた頭の太之助老が
残した仕事が今光る
翁の事業の一とつに馬場街道一里の松並木があったが、是れも飛行場設置の際全部切り払はれました、名所が一とつへりました。