原町無線塔、朝日座など福島県南相馬市原町区(旧原町市)の文献を公開

森高夫 行きます プロペラが回りました いま行きます

P231航空兵の記録

森高夫

自昭和二十年四月二日 至昭和二十年六月十一日

出撃までの日記

昭和二十年六月十一日戦死

沖縄本島近海上

国華隊振武第六十四隊 少年飛行13期

四月二日

特攻に行く。お父さん、お母さん、親類、否村中、郡中の皆さん、これを良く読んで私の愉快なところを知ってください。(省略)

五月二十七日

明日は原町飛行場を出発の予定である。原町は実に感じのよいところである。家族の方をはじめ町内の方の絶大なご厚意により、毎日を愉快に暮らすことができた。ただ感謝あるのみ。

五月二十八日

出、原町。今日は天候も非常に良い。これも神仏のしからしむるところなりと深く感謝すると共に、期待に立派に答えんと心に心に銘記す。

松浦の叔父さんには色々とお世話になりました。ではお元気で、高夫もやります。誓って。

出発準備完了。余裕綽綽たるところで一筆申します。人生は余裕こそ大切です。出撃の時に余裕がもてるように今より心掛けています。

今の心境は、小学校時代の修学旅行に行く朝と同じで、常に童心に立ちかえって、楽しい期待でいっぱいです。

五月二十九日

全国的には快晴で無事大阪に到着す。原町出発時は自分が出発するような気がしなかった。淳子さんが一生懸命見送ってくれた。

途中の航法中は眠かった。腹が空いたので餅を一つがぶりつく。大阪の飛行場に着いた瞬間から原町が恋しくなった。原町は実に気持ちのよい町であった、第二の故郷のように。

五月三十日

お父さんお母さんが面会に来てくれた。今日は天候不良のため出発出来ない。稲垣少尉、斎藤軍曹はいまだ帰隊されない。何事をするにも全員がそろうことが必要である。

五月三十一日

大阪を出発す。お父さんお母さんと最後の別れと、思いきり大きく翼を振る。地上では小さい姿が別れを惜しんでハンカチを振っており、真剣な姿である。無の境地であった。

六月一日

出勤、学科を受ける。我々は常に軍人勅諭を奉戴し、軍人たるを忘れてはならない。

六月二日

整備を実施す。

六月三日

基地において始めて訓練を実施した。

六月四日

小隊教練を実施す。

六月五日

整備を実施す。

六月六日

雷雨のため演習を中止す。ぬれ鼠になってしまった。

六月七日

福岡、博多に遊ぶ。

六月八日

敵機来襲のため演習は行わなかった。

九州に来てから慰問が多く、慰問にくたびれた感じである。しかし、我々は常に若い。我ながら酒をよく飲むようになった。一升は軽くぐいっとやるからね、酒をのんだら私が一番愉快らしい。轟沈(酔いつぶれ)したこと実に六、七回。しかし、常に演習は休まず厳粛だった。

大阪でお父さんを乗せたときは本当に親孝行したような気がした。お父さんも一升のよい思い出となることでしょう。あのときは山火事なんかを上空から見ましたね。小学校にも急降下をしましたね。お父さんはにこにこして驚異の目をみはっておりましたね。

赤、青の若い乙女よりのハンカチが沢山集まった。また

人形もあるはくぁるは、一緒にみんな沖縄の空へ連れて行こう。

六月九日

同日十三時三十分

腹が空いたので地下食堂に行き食事をする。美しい娘がいて龍宮に来たような気持である。

こんなに愉快で元気溌剌としているものが、明日の夜には此の世の人ではないと思うと不思議な気もし、人生の変転の妙に感慨深いものがある。

我々の隊長が今日陸軍大尉になられた。「一夜(生存中)の陸軍大尉だがこのあたりのあやしげな大尉や少佐に敬礼せんぞ」と冗談をいっておられる。」

人間死を超越したなら、本当に毎日を愉快に大胆に思い切って出来るものとつくづく身に感じた。

今から攻撃の最後の作戦を練る。(十四時三十六分)

学科を受けて攻撃精神を大いに昂揚した。(一部分判読できず)

糞落書き、これは私が幼いころより関心をもっているところである。攻撃は一身一瞬のことである。二十一年間の汗の結晶を一瞬に集めて米英艦船をやっつけよう。私の心は童心に帰っており、その道は二十一年間における父母恩師教官の汗が私の心に染みて一矢に突入する覚悟。

お父さんお母さん自分は幼いころからなんでも他人より大きい方が好きでした。二十一才になってもやはり大きい奴をやっつけます。

でかいのを轟沈誓ふ

幼心の汗の玉(十七時)

同日十七時九分

天井の窓を見れば青葉の土手が見える。ここは先程から居る半地下室である。早くやっつけたいばかりに興奮して汗が流れる。

同日二十時

慰問演芸を見る。可愛いお嬢さん達が我々軍人のために一生懸命に舞ってくれた。十一時半、宿まで一里程のところを歩いて帰った。明日の戦力を貯えるために眠る。(0時半)

六月十一日

七時四十五分、朝食を終って床の上で一筆記す。今夕攻撃か? 九州の言葉、特に鹿児島の言葉は判らない。私の機体の整備員は山田雇員である。山田は私と共に本当によく頑張ってくれた。家からも感謝して下さい。

同日十二時

命令遂に下る。最後の用便もした。心も落ち着いた。立派に生きん。

同日十二時十四分

丘の上で春風にさらされながら一筆記す。今日はむし暑く雲若干あり、攻撃には好機会である。

この日記と共に財布をお送り致します。

内金 一三〇円二〇銭也

これは秋子さん桂子さんの学資にして下さい。

印鑑 二個

同日一四時

いよいよ出発です。お父さんお母さんお元気でね。今夜の七時半には家に帰ります。出発は十七時、二時間半にて到着。誓う轟沈。

思う心思う心

ただ思う心は

立派に三千年の

皇紀に生きること

出撃といえども何んにも感じない。興奮はない。ただ嬉しいやら、やるぞの精神に燃えているのみだ。だからこそこんなにのんびりと日記が書ける。本当に自分の死には冷静であって、永遠の国に旅立つのであることを思うと本当に晴れやかな気持ちである。

ではおとうさんお母さんまた皆々様高夫は行きます。

国華隊森伍長は行く

我は嬉び勇み轟沈

出発寸前これを機付に頼む

最後の高夫がここに香う

行きます

プロペラが廻りました。

今行きます。

ではさらば

宇都宮陸軍飛行学校少飛十三期生刊「特攻隊の思い出」より p235航空兵記録

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