84 野馬追小考
 藤田魁(はじめ)という人物が昭和四十七年七月に「相馬野馬追小考」という著書を出版した。藤田は日本画家である。
 表紙には当時は珍しいカラー印刷の口絵が挿まれている。
 上段に「相馬野馬追総大将(第三十三代継嗣相馬和胤)御出陣の図」がある。
 下段には「相馬野馬追屏風(六曲一双の内)」(宮城県某家蔵)が配されている。
 面白いのは、この本が出版されて十五年目のことし、相馬和胤公の総大将出陣が実現し、なおかつ五月のふれい野馬追において特別展示会が開催され、幻の六曲屏風が一般に公開された。
 松島在住の実業家、大宮司氏の所蔵になるこの屏風は、本邦初公開のものとばかり思っていた。
 もちろん実物を見たのはこれが初めてだが、十五年前に発行された「相馬野馬追小考」に載っている「屏風」こそ、この絵画だったのである。
 図書館で久しぶりに手に取って見た「小考」で、その事実を再発見し、あらためて藤田の人物の大きさを思い知った。
 くだんの屏風は、江戸時代のものらしいが、銘が入っていない。しかし、相馬の地に存続しているほかの屏風に比較してさえも、この六曲一双の屏風は群を抜いてすばらしい。その構図といい、色といい、力強く躍動し、いかにも相馬野馬追の全容を一面に収めて、ほれぼれとする作品である。
 藤田の美術家としての審美眼が、自筆の会心の作「総大将出陣」を誇りをもって掲げると同時に、この県外個人蔵の屏風絵をあえて某家蔵と記して自著に収録したものとみえる。
 著作はB5判で百十一頁あるが、野馬追の歴史、現況、武具、馬装、陣貝などについて百科事典的記述を尽くしている。
 こうした内容には、著者はあっさりと兜を脱いでしまう。
 すくなくとも「小考」は、「世に紹介された野馬追祭」という項目では、「明治四十一年、たいしょうてんのうが皇太子としての東北御巡幸に際し臨時野馬追大祭を執行して殿下の台覧に供した。殿下は古式豊かな行列と勇壮な神旗争奪戦を御覧になられ非常に御満悦であった由」
 また「昭和三年十月。御大礼記念相馬野馬追を東京の全国馬匹博覧会当局の招請によって騎馬七十騎が上京の上参加し都会人の目を奪って万丈の気を吐いた」
 などをはじめ、昭和十二年の一千年祭、昭和十六年の農林省主宰興亜馬事大会のことなど、短くはあるが、漏らさず列挙してある。
 戦後の例では、昭和三十一年、東京都の開都五百年祭が開かれ、十日間ばかり多彩な催し物が続いた中に、昔の大名行列というのがあって、箱根の大名行列、品川宿の大名行列の、武田二十四将の武者行列、徳川家康江戸登城の行列、太田道灌、武蔵野原の狩の陣とか総勢約五百の大名行列の只中に、相馬野馬追の騎馬の陣が精鋭十五騎威風堂々と参加をし、日比谷公園を振り出しに、田村町、数寄屋橋、鍛冶橋等、銀座東裏の昭和通りを北に進み、都庁前から宮城前の広場まで陣を進めて解散をした。沿道何十万の観衆の中から五色のテープが飛ぶやら五色の花吹雪が散ってやんやの喝さいを受けた」

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