原町無線塔、朝日座など福島県南相馬市原町区(旧原町市)の文献を公開

66  人質合戦

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 人質合戦
 (略)
 さて、八切止夫の意外史をさらに読み進めてゆく。
 「本朝競馬事始め」と題してサンデー毎日に連載された義胤の子利胤の物語を覗いてみよう。のちに単行本にまとめた時に「大穴」と改題されている。
 天正十八年七月。小田原が落城して秀吉は帰京する。これを追って相馬義胤は、ひとまず小高に戻って進物の用意をし、雪にならぬうちにと十一月に出発し、十二月には聚楽第へお礼言上のためお伺いした。
 「その方、なかなかの馬術の名人じゃな。箱根の馬の駈け比べの際に、退屈しのぎに諸大名が入れ札をしあったが、みな若い政宗めに賭けおって、どやつもみな損こいたそうな」
 愉快そうに秀吉は、からから大声を出して笑い、
 「よう遠路、出てきたな」といたわり、
 「行方(なめかた)、宇多、楢葉三郡、四万八千七百石」
 の本領安堵の朱印状を出してくれた。
 前年伊達政宗に奪われた宇多郡駒ヶ峯、新地の二つの砦も取り戻してくれた。

はらのまち100年史

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