〇十八日。同国(伊達藩・仙台)を出づるまで十分に之(海岸線)を調べたり。此日我等は中村Nacamuraの市に於て夜を過したり。其領主は大膳殿Daygendono
相馬大膳太夫利胤なり。到着前皇太子の書簡を届け、同市に入るの許可を求めしが喜んで之を与へ、旅館食物等其の他必要なる物を給したり。

月曜日
〇十九日 司令官は羅紗及び布類の進物を携えて彼を訪問せり。之を携へざれば面会することを得ざるがゆえにして、また海岸に近き領主なるが故に彼と」相識りて厚誼を結び、船の沿岸に避難したる場合に備へ又我等との交易及び基督教に心を傾くるに至らしめが之が為めなしたり。彼は其の城門に於て快く司令官を迎へ、城は破損し再築中なるを以て、城内に迎えざるを謝し、同市も海水の漲溢に依り、海岸の村落に及ぼしたる被害の影響を受けたりと言ひ、其通行の際並びにイスパニヤの船又は国民同所に来る時は、全領内に於て喜んで充分なる給与をなすべしと述べたり。而して翌月曜日〇同日の誤なり 我等が行きて海岸及び余り用をなさざる二つの入り江〇新沼浦及び松川浦ならん を測量する為め同市に滞在せし時にその時に約したり

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