愛姫の母の生涯
相馬顕胤の娘
三春を追われて小高城・堤谷に住む

伊達政宗夫人の愛姫は田村清顕の娘。その母は相馬家と深く、顕胤の娘である。
愛姫は天正七年、十一歳で米沢の政宗のもとに輿入れした。ときに政宗十三歳。どちらも稙宗のひ孫にあたる。
愛姫の母渓山院は田村家に嫁ぐ時に化粧料として南津島、岩井沢、葛尾、古道をもらって持参し、三十五年間三春で過ごしたが、夫の病死で離縁。相馬に戻った。津島に姫渕という地所があり、渓山院が三春を追われる時、侍女が姫の身代わりになって入水したという話が伝わる。小高城に戻ってから、堤谷に御殿を建てて住んだといわれ堤谷御前と呼ばれた。阿弥陀堂のある場所がその跡と伝えられる。その後は政宗に引き取られて仙台で八十歳の生涯を閉じた。