不発弾爆発の惨事 原町市
兄は死亡、弟妹重症
 米軍機使用か? 炉に投げて
十六日の午後原町在の農家で留守番をしていた兄妹三人が、それと知らずに米軍使用とみられる不発弾を炉にくべたところ轟然爆発して一人は死亡、二人が重傷を負った惨事が発生した。
 同日午後二時半ころ原町市片倉字羽山 江井正身さん(43)の三男太田中学校一年生光君(13)妹同小学校三年生シズエちゃん(9つ)弟良一ちゃん(3つ)は自宅炉端で火にあたっているうち、光君が持っていた大人の小指大の銃弾を火の中に投げ入れたところ轟然爆発して光君は上腹部に破片が入り、断末魔の悲鳴をあげて屋外に逃げだしたが三十分後に絶命。シズエちゃんと良一ちゃんは両足、顔面その他に全治二十日間の擦過傷を負った。
 急報で原町署から吉成捜査係長ほか係員三名が現地に急行、捜査しているが十五日学校帰りに拾ってきたもので同部落は元原町飛行場わきにあり、終戦直前のさる二十年七月米艦載機の機銃掃射をうけており。機関砲の不発弾ではないかとみられている。
福島民友夕刊昭和31年1月18日

編注。米軍艦載機に機銃掃射は昭和20年7月ではなく、8月のこと。

昭和43年6月のはらまち「市政だより」第143号に、ゴミの中から爆弾が出てきたという記事。
 おそらく昭和二十年の原町空襲の時の、米軍艦載機が落としていった不発弾なのだろうが、広報は「爆発しやすいものなどは区別して」と訴えている。「作業も大変危険ですし焼却炉が故障する原因にもなります」から、という訳だ。戦後二十三年たってから、平和な町を驚かせた物騒なゴミだった。それから十四年たって、今なら貴重な歴史的証拠物件だろうに。あの爆弾は一体どうなったのか気になる。
「原町私史4 秋市にサーカスが来た頃」p82

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