img301平躰國友兵長 通信部隊 富山出身

1945年8月10日の原町空襲は払暁から行われた。米機動艦隊の空母から発進した艦載機グラマンF6F戦闘機3機編隊が急降下して、最後尾の一機が500kg爆弾を飛行場に投下。

対空砲座にいた平躰兵長は、その爆破によって戦死した。

上官高藤卓郎から遺族への手紙。消印は8月17日気仙沼から。手紙の日付は8月12日。つまり部下の死から2日のちに弔信を書いて、15日の終戦でただちに故郷に復員して、自宅の住所から投函したものらしい。

戦死した平躰さんは17歳だった。死後、伍長に昇進。二階級特進は特攻隊と同じ扱いだ。

 

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