まさぞうs25駅前佐藤政蔵の「歌のはらのまち」

戦前戦後を通じてユニークな活動で知られた原町に名物町長佐藤政蔵氏が、昭和二十五年に発行した冊子「相馬の民謡。歌のはらのまち」を福島市の古書店でみつけた。
野馬追祭りと相馬民謡を全国にPRしようと、同氏が佐藤ひげ郎のペンネームで出版したもので、大きさは文庫版サイズ、77ページだが、本文は43ページで、後半34ページが賛助会員芳名と広告で占められており、むしろ当時の商工界や花柳界や医師その他、産業全般のトップの顔ぶれをうかがい知る一覧ぴょうにもなり、貴重な史料だ。
紙質は極端に悪いが、口絵写真には銀杏並木のある駅前通り風景なども収められ、戦後の様子がしのばれる。
この年の四月には勧業銀行とNHKの主催による三百万円宝くじの売り出し記念全国著名舞踊競演大会が東京神田共立講堂で開催され、東北代表として選ばれた相馬郷土芸術振興会の一行が参加。八大舞踊中の第一位優勝という見事な成績を上げた。いわばその直後で、七月の野馬追の直前という好機に、話題を提供しようと出版したもの。
政蔵氏の三男にあたる宇多川道夫さん(当時NHK演出部長)が、序文を寄せている。

「私が原町に生まれ育ち、父の影響を強く受けたことによるものと信じている。父は同時に民謡好きである。しかしこれは父のデモクラシーの一つの表れに過ぎない」「父が相馬を、原町を誇り、相馬の民謡を語ることは今に始まったことではないが、今度、校を新たにして大方に見える運びになった」
「由来相馬地方には、昔から民主主義が行われてきていると思う」と、戦後間もない時期だけに米国直輸入の民主主義という言葉が多様されているあたりも時代の反映だ、
内容は「相馬の民謡」解説と、自歌自注の「歌のはらのまり」それに「雑の部」の三部からなる。
第二部では、明治四十一年に初めて出版した自歌自注の本「はらのまち」や、昭和13年に出した「歌行脚」などから自作の歌を織り込みながら、はるかに懐かしく回想している。
明治大正昭和と原町の発展とともに生きてきた政蔵の愛着そのものだ。
政蔵の本には、それぞれの発行年代当時の原町が描かれているが、二十五年当時の背景として、「歌のはらのまち」には、
「都市計画施行地域で、ビニロン工場誘致に対し受け入れ態勢は先ず完璧、愈愈出来るとなれば全国中先ず第一の候補地と目されている」
と、当時最も話題に上っていたビニロン工場進出への期待感が書かれている。また「現在の市街と排水路は大正末期、昭和の始に完成したもので、当時の耕地整理組合と街の協力になり、組合長であった大橋勝治氏の功労を忘れてはならない。
駅をチョイと出りや 銀杏の並木
緑木陰の人通り

鉄道開通当時は本町迄の間は両側栗林、駅前では丸屋、中野屋、両旅館と石田屋菓子店、丸通と阿部運送店位のものであった。尚現在の街路樹は昭和十二年丸通の大橋友成氏の寄付したものである。」
と駅前の銀杏並木についての言及がある。
戦後の駅前風景の特徴だった見事な銀杏並木は、商店街の街路灯をさえぎって暗い、というので、その後すぐに伐採されてしまった。

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