第四節 漁業
一 渋佐港の状況
原町市の各浜は、潮流の関係で波浪の侵食が甚だしく、砂丘は消滅の一途をたどり、船のあげ場がなくなり漁業の振興は抜本的対策がなければどうにもならない状況である。
昭和二十五年十二月二十七日に、渋佐港は”第一種漁港”の指定を受け、昭和二十六年七月十日には、水域(泉字御堂岬先端を中心として半径四〇〇mの海面及び新田川の河川水面)及び陸域(下渋佐字大身一-四〇及び六一番地並びに下渋佐字後川一六三-二二四番地)の”漁港区域”の指定を受けて、漁港整備の計画を進め新田川の河口の改修、漁港の構築について、幾度か工事を企画したが、潮流の変化、自然の威力には抗し難く期待する漁港の実現は遂に達成できないで現在に至っている。
昭和四十五年にはあらためて、新田川河口に二、○○○トン級船舶が出入りできる港湾を建設して地元漁業振興と合せて工業化の進む市域発展の海の玄関にしようという計画をもつて、市内各農業協同組合、各漁業協組合、商工会議所、市議会が一丸となって”原町港建設促進協議会”を設立した。協議会による構想は、新田河口から約一、二〇〇mの地点から大磯に抜ける新水路を造って導水し、河口を掘削して水深七mの掘り込みを建設する計画で、工費約二〇億円を見込み、四十五年度-四十七年度を調査設計期間として、着工を四十年度、完成を五十五年度とした。しかし、この構想も調査研究だけで遂に具体的な成果もなく、自然の威力の前に屈服した姿で協議会は解散している。
渋佐港が漁港としての機能を果すことが困難である状況から、昭和五十三年に渋佐港の”第一種漁港指定取消し”を企図したが、県当局と打ち合わせた結果、現段階では漁港施設を取消すことは非常にむずかしいとのことで、指定取消しの申請は取止めることになった。なお、県当局としても、漁港を県管理とするためには、漁船集積もなく漁港の格上げもできない現状から、今後新田川河口を河川工事のなかで何とか保全対策が実施されるよう関係機関に要望することになっている。
二 鹿島漁業協同組合
1 結成  原町市漁業協同組合(既刊「原町市史」参照)は、渋佐港をあきらめて隣接の鹿島町の漁港に入ることを考え、昭和四十六年六月、鹿島町漁業協同組合に合併することを申し入れた結果、鹿島町及び原町市を区域とする「鹿島漁業協同組合」が結成された。
2 歴代組合長
① 鎌田清 自昭和四十六年至現在
注 原町市から理事二名(桜田幸雄、田原高義)監事一名(新川清八)
3 組合員及び漁船数(昭和五十四年度現在)
① 組合員 一五七名(鹿島町一三二名、原町市二五名)

原町市史 続編(昭和56年)より

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