燃える石

いわきの人、片寄平蔵は四倉大森のひと。材木商の養子となり、江戸に出たが、おりしも浦賀にやってきたアメリカの黒船を見た。「あれは石炭を燃やす蒸気の力で動くのだ」と江戸の石炭商人「明石屋」に教えられ、思いついたのが郷里の河原の黒い石だった。それまでかえりみられなかった石炭が金になると知った平蔵は常磐炭田の開発を開始。最初は九州炭に比べて低カロリーの粗悪炭として見向きもされなかった常磐炭だが、やがて調査が進むにつれて、良質の石炭を供給するようになり、のちの全盛時代には日本の鉄道の三分の一を賄うに至った。常磐線は、この常磐炭を東京に運ぶための鉄道として、国防上の急務として日清戦争の勃発した明治27年に敷設が決定された。28年に着工。30年に平まで開通した。31年には全通した。

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