〇明治31年の常磐線全通の直前まで(7月3日民報)まだ半谷攻撃の手をゆるめず次のような記事を掲載している。
「暴戻非道 半谷清寿 暴戻非道の手段を以て浜街道筋の農民を苦しめ一夜造りの豪農と也澄したるさへ面憎きに貪婪飽く事を知らす鉄道敷地事件以来益々その強欲を逞ふし彼が不人情道義の奸手段に陥りて昨日までは中等以上の生活を為し来りたる農民の今日は忽ち其日々々の糊口の代にさへ苦しまむでに至りしもの無慮幾百名に上り一朝過あやまちとして法律の眼に見られんとする事あれは罪を手下の乾児こぶんに嫁してこれを牢獄に陥ゐれ露ほどの  □れをも其遺族に施すこともなく剰さへかかる体裁にて自ら自己の報徳碑を建設するに至りたるか如き僭越至極の振舞ひをなし傲然相馬の豪族を以て任する人面獣心の破廉恥漢小高町の住人半谷清寿なる奴輩が悪事醜行に至ては吾人の夙によりるる耳にする所にして折にふれふれ彼の暴戻を筆誅したる事ありしか法律の制裁は大詐偽師大悪人の門を余所目にして通り過くる事のあるものにやと潜に怪しみつつあり

彼は去廿九日の午前を以て突然家宅捜索を行はれたる後ち其股肱の臣なる神戸某と倶に其筋の手に拘引せられ直に当監獄署に送致せらるるに至りたるは稍や後蒔の憾みなきにあらさるも誠に心地よき次第にして正義人道のために大に吾人の喜ぶ所なり而して右の清寿等が今回突然拘引せらるるに至りし事件といふは誠に容易ならさる一大事件にして其関係の及ぶ所も頗る広くむろん第二の斎藤善衛門事件に相違なしと雖も其暴戻非道の程度は斎善事件よりも層一層悪を極め居るものなりといふ尚ほ探訪の上予審の取調べに差支なき限り続々彼が醜魂 胆を発き一は以て政治人道を鼓舞し一は以て此等の獣類と其行ひを同ふする奸物連の訓戒となす悪人の門を余所目にして通り過くる事のあるものにやと潜に怪しみつつあり]

 

読み進むにつけ、心痛むほどの極悪非道が「我に正義あり」という独断の極みで実は新聞によって加えられたことを知る。

次回は「農民の無知が鉄道に反対したという原町市史の無知」

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