戦後の列車ダイヤ

● 再建復興時代
昭和20年8月15日、第二次世界大戦は日本の無条件降伏によって終結。連合軍の占領下におかれ、9月までに米第八軍が進駐を完了。国鉄はその管理下に入った。仙台には仙台地区司令部、熊谷に熊谷地区司令部が設置され、終戦の混乱の中で国鉄は従来の軍事輸送から一転して復員輸送、進駐軍輸送などの新たな使命を負う。
同九月からは引き揚げ列車が走る。
この年11月20日、戦後初の時刻改正を実施。ほぼ19年10月ダイヤの水準に戻った。上野青森間に急行列車(所要時間15時間30分)が復活し、直行列車は上野青森間は往復でうち常磐線経由が一往復。
この年の年末、石炭事情が悪化。12月21日にはようやく復活した急行列車は運転休止となり、輸送力はどん底へ落ちた。
翌21年に入って石炭事情が好転し、列車は徐々に復活していった。
同年2月11日、上野青森間に連合軍専用列車を設定。4月22日、上野札幌間(常磐線経由)直行列車ヤンキーリミテッドの運転を開始する。
同21年11月10日、前年の石炭事情の苦杯にこりた国鉄は冬季対策として時刻改正を行い、急行列車をあらかじめ削減し、そのかわりに戦前はサービス列車であったが、準九行料金の支払いを要する準急行列車を設定する時刻改正を行った。これにより上野青森間(常磐線経由)急行一往復が設けられたが、青森行きは実際には青森行は運転が休止される。
翌22年1月4日、石炭事情がさらに悪化。急行列車は全廃。
同年6月29日、時刻改正で上野青森間(常磐線経由)急行(所要16時間45分)も設定された。
24年、国鉄は公共企業体「日本国有鉄道」として発足。
25年10月1日、全国時刻改正。優等列車をさらに増発。上野青森間の急行は常磐線経由としてスピードアップ。札幌直通の一等寝台車を連結した。

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