常磐線開通まで

小高町史の「交通」の項目に、明治23年の小高から伊勢までの旅費が出ている。
明治中期の伊勢詣り   道中記
明治二十三年(1890)八月五日(旧暦六月二十日)大井の中村庄之助および福岡の小林忠之助、片岡市之助ら一行一二名が、早朝旅支度に身を固めて小高を後にした。一行は小畑から金谷峠を越え、昼食は津島でとった(昼食代九銭)その後川俣町に一泊(宿泊料一七銭)阿武隈川を裸で渡り、…・それから数を重ねること四一日、すでに秋風の吹く九月十四日に帰郷した。
このころ、東北本線は開通し、もちろん東海道も汽車が運航されていたので、旅の半分は汽車を利用し、のこりは徒歩である。
特に帰りは東京から成田の不動尊に寄り、橋のないところも多く、渡し船で苦労を重ねて、浜街道を北上した。(注)旅行中、台風による洪水で汽車がところどころにおいて不通になり渡し船を利用したと記されている。
この道中記をみると徒歩の場合一日平均、五里半から六里半ちかく歩いている。(23キロ~26・5キロ)
路銀(旅行の費用)の合計額は一人当たり四一円(四一日間)一日一円の割である。
止宿料(宿泊料) 最高 東京      二八銭。
最低 大野木村    一三銭。
昼食代      最高 横浜      一四銭五厘。
最低 横浜       五銭八厘。
成田不動尊の茶屋での酒肴代        七銭二厘五毛。
大戸川宿場で酒代一升          一七銭五厘。」

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