原町無線塔、朝日座など福島県南相馬市原町区(旧原町市)の文献を公開

18 勲章

18 勲章
 「たった一人の娘でしたから、もったいないことでした。あの時は足の傷のほかに、制服の袖が大きく破れてた。腕は怪我はなかったけれども、袖に銃弾が当たって、引き裂いていった。大変な力なんだなあ」
 スズイさんの母ヤエさんは、しみじみと語って。
 その部屋には、スズイさんの勲章が飾ってあった。奧の部屋には仏壇と、家の歴史を物語るように肖像写真が並べられ、その中にスズイさんの写真もあった。そしてその列に、勲章の授与についての証書があり、その文面はこのようなものだ。
「日本国天皇は故星スズイを
 勲八等に叙し瑞宝章を贈る 
 璽を押させる
 昭和四十四年四月二十六日
 大日本国璽(印)
 内閣総理大臣 佐藤栄作(印)」

 同じ証書と勲章が、大原ヨシ子さんにも贈られた。
 尊い生命を国に捧げた若き女子挺身隊員たちは死後二十四年たって、勲八等と評価された。この時と同じ我が国の内閣総理大臣はその後、死の直前にノーベル平和賞を受賞しているが、一方ではるか以前の昭和三十九年に、ある米軍の人物に「勲一等旭日大授賞」をさずけている。
 ある人物とは、東京台九州をはじめとする日本本土空襲の責任者で、無差別爆撃の決定者カーチス・ルメイ将軍である。
 授賞理由は「我が国航空自衛隊の育成に多大の功績があった」というものだ。高校さん年の二月、このことを知って驚愕したことを私は今もおぼえている。
 軍属に列せられた折の証明書の写しを父親良猪さんがずっと保管していた。
 私がたずねると、その紙片を採りだし、差し出された。
 それによると、公式の記録がどんなものであったかが判る。
 「証明書
 福島県相馬郡石神村大木戸仏場四十七番地
    良猪 長女 星スズイ
       大正十三年三月十日生
 右者相馬地方事務所編成による相馬地方女子挺身隊員として昭和十八年十二月二十日当時元陸軍被服本 監督工場たる当工場勤務中、昭和二十年二月十六日米軍艦載機の銃撃により右足膝関節部に貫通銃創を受け原町宇津志病院に入院し右足切断加療中死亡殉職したるに依り元陸軍本 長より軍属に列せられたる事を証明致します。
昭和二十九年九月十四日
   福島県原町市南新田夜森前六
     原町紡織株式式会社
     工場長 古橋 英二」
「1、徴用令を受けたる年月日
   昭和十八年十二月二十日
 2、徴用せられて総動員義務に従事したいた事業所の名称
   原町紡織株式会社
 3、右事業所の所在地
   福島県原町市南右田字夜森前六番地
 4、従業した総動員業務内容
   綿スフ織物製降並に染色加工
 5、死亡の原因となった負傷又は疾病にかかった場所及び右の受傷罹病のろき従事していた業務内容
   職布工より転課し筋係として就業す
   受傷及び罹病の年月日
    昭和二十年二月十六日
 6、死亡の原因となった負傷又は疾病の受傷罹病の状況
   米軍艦載機の銃撃を受け
   右側下腿の貫通銃創
   に瓦斯壊疽を併発し死亡したるもの
 7、右の受傷罹病の原因
  となった戦時災害の状況
   艦載機の機銃掃射
 8、死亡した場所
   原町南新田字町三十七
   宇津志外科医院
    昭和二十年三月五日
 9、受傷罹病及び受傷
   罹病後死亡に至る
   までの状況
   昭和二十年三月五日午前九時米艦載機に依る編隊の空襲を受け、右足下腿に貫通銃創を受傷せし為め直ちに宇津志外科医院に入院加療中瓦斯壊疽えお併発して死亡したるもの」
 この外にも、当時の宇津志医師の書いた死亡診断書が同家に保管されているが。内容は右と同様の要件がかきこまれている。

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