原ノ町機関区勤務 鈴木一夫

戦争が終わるまで、神風攻撃隊と染め抜いた鉢巻きを締めた童顔の少年たちも、機関区のカマ磨きという庫内手という最下級の仕事をしていた。
その10年後。
駅前広場の児童たちが手に手に日の丸の小旗を打ち振り、駅前広場の砂利の隙間さえ見えなかった。
数百メートル南の北原踏切のあたりまで人があふれていた。原町高校の夜間部に通学していた鈴木一夫少年も、給金で手に入れた二眼レフのカメラで天皇を乗せたお召列車を撮影しようと、構えていた。
鈴木少年は、国鉄原の町機関区の見習いで働き始めた。
学制が変わった原町高校が出来たのが昭和23年だが、やがて時代の要請を受けて夜間部が設置され、鈴木は15歳で応募した。昼間は機関区で肉体労働し、夕方から町はずれの学校まで急いだ。
無線塔の下に、米軍進駐軍という占領軍の兵士が駐屯し、そこで働くハウスボーイの少年もいて、すぐに校友になった。民主主義と議論と、組合活動など。すべてが新しい時代だった。