原町無線塔、朝日座など福島県南相馬市原町区(旧原町市)の文献を公開

幻の福相間電気鉄道

〇伊達郡福相鉄道協議会
「信達二郡有志者の発起せる福島町より相馬原の町に達する鉄道布設は既に第一回協議会を信夫郡衙に開きたるが異議なく布設する事となり 依て其の設立出願は本日再び同郡衙に開くこととなりたる為め伊達郡有志者も亦明十一日伊達郡衙内に協議会を開く由 最も当日は当町よりも瀬高竜人、青木金治両氏の外二三の有志者は同協議会へ臨み本日信夫郡衙に開くべき協議会の決果を報告すべしとなり」(明治29年4月10日民報)
〇福相鉄道敷地踏査
「福相鉄道敷地調査として過般逓信省鉄道技師野村竜太郎、福島出張所詰工学士富田保一郎其他創立委員芳賀宇之吉氏等が線路の予測を為したる事は曾て報ぜし所なるが 今原の町地方踏破の模様を聞くに 原町村よりは発起人惣代今村源八氏役場よりは伏見勇七氏等同行 先づ高倉口を踏破して同日は飯曾村飯樋に至り同所へ一泊 翌日は飯曾村比曾に至り技師一行は同所より伊達郡小綱木を経て川俣に至るの敷地を踏査し 今村、伏見の両氏を同所には技師一行と分かれ帰村の途次馬場口即ち太田川筋における道敷を踏査する為め比曾より蕨平に出て太田川筋を経て帰村したる由にて 両所の道敷に付き其難易を比較せば勿論馬場口の方途程優り居ると云ふ尚馬場口踏査の為めには近々野村、富田の両技師出張せらる可しと」(明治29年4月10日民報)

幻の福相間電気鉄道

また福島と相馬中村を結ぶ福相鉄道というのも、将来像の一つだった。
明治29年には相馬原釜と福島とを電気鉄道で結ぶ計画もあった。

「電気鉄道願書却下せらる」
「過る頃千坂高雅氏等より其筋に出願したる福島原釜電気鉄道会社の件は、先づ軌道条例により軌道布設の許可を得たり上 更に本県昨年六月の県令第五十八条に基き電気営業の許可を得て会社発起の件を出願すべき順序なるに 此手続を誤りたる為め 終に此程却下となりしよし」(明治29年3月11日)
「〇福相間電気鉄道に就て」
「福島相馬間私設鉄道布設に就てさきに福島鉄道及ひ福相電気鉄道発起の事あり両者共に其筋へ出願したるか電鉄は其手続きを誤りありとて一時撤回し福島鉄道会社は現に仮事務所を百七銀行内に設け踏査測量等も既に終りしか其結果予定の路線を変更せさる可らさるの事情もある由にて近来其面甚だ活発ならざるか如き観あり夫かあらぬか電気鉄道発起方には此際再び運動に着手し一昨日千坂高雅氏ハ来福して昨日小倉知事を官邸に訪ひ県庁に出頭して尾越書記官早生技師に面会し昨日宮城県参事会員たる斎藤信太郎氏と共に飯坂地方に出張し擦上川に於ける発電所及び中野村大滝の発電所等を見聞したる由なり」(明治29年7月3日)

福島は実際に日本における電気機関車の発祥の地となった。福相間の鉄道は実現しなかったものながら、電気鉄道の可能性がなかった訳ではない。
その後の原町・福島間の鉄道敷地踏査についての報道に次のような記事がある。
「原町川俣間踏測」明治44年7月18日

「鉄道院にては舟塚技師を派して福相鉄道の実測をなしたる事は已報の如くなるが川俣針道道目木津島浪江原町方面を踏測したるに原町が熱心に希望する石神村より草野を経て川俣に至る線路は踏測せざりしが同地の有力者が該方部の踏測を交渉したる結果舟塚氏は白石方面の踏測をなしたる後再び原町に来り其方面を踏測する事を約せりと」
6月26日に「〇福相線の測量」「〇川俣町の軋轢・軌道延長問題」の記事もある。

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