昭和19年 5月または、6月頃の、暖かった日(日時不詳)
ある日突然、英夫兄が休暇で、字折が沢の我が家に一泊していった。
(当時仙台向山の宮城女子専門学校の松韻寮にいた姉は、松島基地から休暇で家に帰る途中だがと仙台駅の兄から電話があり、急遽許可を得て帰宅することにしたが向山からお霊屋下に下りる坂道は瑞鳳殿の森と広瀬川にはさまれ、あまり人通りが無く、物騒だからということで、舎監の先生の計らいで寮生数人がつきそっての夜間外出で帰宅、兄の最期の帰宅に同席できたということを私は今でもはっきりと記憶している。
そのとき、兄は『何月何日汝ころ、低空飛行で、我が家の上を通過する』といっていって帰ったが、その日の予定時刻近くになったころ、国旗を用意して、家族一同庭で今か今かと待っているうちに、爆音とともに、複座の軍用機が飛来し、翼を振りながら、低空で我が家の上空を一周して、仙台方面に飛び去った。
 上記の佐伯基地から第553航空隊の根拠地である美幌基地へ赴く途中であったのか、それとも下記の香取基地への転進の途中であったのか、あるいは長距離航法訓練の途中であったのかは不明。おそらくは、実戦部隊に配属後は、時局柄帰郷はもはや不可能ということでの休暇であったのだろう。