原町無線塔、朝日座など福島県南相馬市原町区(旧原町市)の文献を公開

トロ道と高倉鉱山

高倉鉱山見聞記
七月二十四日、暑いまっさい中を、記者は多田先生と同行、高ノ倉鉱山へ向かった。この鉱山の正式な名前は東邦電化株式会社高ノ倉鉱山と云ふのである。鉱山まで原町から約四里、その間を小さな機関車にひかれたトロが毎日一往復している。トロは七時半に出発、三時間余で取木の終点につくまで新田川の清流を眼下にひたすらのぼるのである。鉱山の位置は五万分の一の地図で見ると、かやのき橋(石神村)と不動滝を結ぶ所謂大谷断層と石神村取木とバッカメキ(石神村)とを結ぶ断層とで区切られた地区の一部であって、地質学から云えば秩父古生層、或いはそれに準ずる地層に対比される地層中のものである。
一行は宝山寮に到着、持参の弁当を食べてからすぐに山の事務所にゆき、土屋所長、鈴木賢鉱山長以下の皆さんに挨拶する。その中には本校新聞部の先輩の今野敏夫さんの顔も見えた。鉱山長の説明を伺ってからいよいよ所長、佐藤、林さんの御案内で大平鉱山に入る。坑内は延長約五百米、温度は十五度Cという涼しさに我々一同は生き返った様である。真っ暗な穴の中はカーバイトのカンテラの燈火がたよりである。穴の奥では所謂「ささやま」と呼ばれる逞しい山の戦士たちがさく岩機の騒音の中で花崗岩の岩盤にとっくんでいた。岩石に穴があくとダイナマイトの爆破が続く。また一方掘り出された岩石は坑内からトロで坑外に運ばれそこで鉱石が選別される。そしてそれらは索道で山づやいにトロの終点取木まで運ばれここからトロで原町び下り、原町駅から常陸鉱業所に送られる。石灰と花崗岩との因果からできた塊状鉱床で鉄と銅鉱が主要鉱物である。現在は銅鉱石の採掘探査に力を注いでいると云う話であった。この山は昭和八、九年頃から採掘にかかり現在の会社の経営(社長手塚信吉氏)に移ったのは昭和十九年のことで、それから非常に開発され一応の設備が完成された。鉱石は月に六百~八百トン内外で三十トン内外の電気銅に精錬される。近き将来には日産千トンをめざし目下大いに奮闘している。従業員は全部で百三十人で坑内作業員と事務員数名が炭坑、探査、工作、索道、及び経理などの各係に配属して地下資源の開発に専念している。宝山寮に一泊して翌二十五日記者は山の上に住む先生達の状態を見聞するため高倉分教場を訪ねた。折よく小林秀子先生がおられ話を伺った。分校に生徒三十名教師は男女各一名で小学校の分校の校舎としては福島第二に大きいが、その割合に生徒は少ない。生徒は一般に引き揚げ者が多く、小学の六年生でも中学三年ぐらいの人がいて、手に余るためか女教師ではなかなか教育がむずかしいとのことであった。然しお話下さる先生のお顔には微笑がただよい、ちっとも苦にならない様子であった。又この地の食生活は、戦時中そのままの姿を思わせる配給生活と似た様な状態で、週二回トロで食物が山の上に運ばれる。
分教場を辞してから土屋所長に案内され四号採鉱事務所に行く。途中霊山をはるか彼方に眺望し、又ここの山につづく野手上富士の清楚な姿が見られた。四号選鉱所では日焼けした選鉱女工の姿が見られ一心に鉱石を餞別している。これらの鉱石はやはり前記と同じ過程を経て日立精錬所に送られる。こうして昨日と今日にわたって親しく視察をさせて頂き、昼食後暑熱の中を記者達一同は会社の今後の発展を祈りつつ、山の人に送られて取木まで下山、そこから特別仕立ての自動トロで一路原町をめざしてひた走った。
二瓶、前田、松浦記

原高新聞 昭和  年

はらのまち100年史

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