昭和十九年
 2.23. 防空小区設定 近く四市二町に 中村も(毎日新聞福島版)
 四月、憲兵伍長渡辺幸太郎が赴任。
 渡辺の回想。「帝国金属株式会社の内偵や、野馬追の取締り、軍用列車の停車場取締り、英霊の駅への出迎え及び取り締まり、また行列の先導。小学校の式典への来賓としての」参加等々、また特攻隊の見送り、騎馬巡察、身元調査、窓口受付、複数での徒歩巡察、など色んな事を体験しました」
 ○徴兵拒否事件
 十九年四月、富岡小学校で徴兵検査。連隊区司令官より、右人差し指に包帯をしているものが徴兵拒否の疑いありとして告発を受け原町分隊に連行して取調べ。二階司法室で聴取を始めたところ、炭焼き小屋で薪割り作業中、誤って切ったとの一点張りであったが、右手負傷ならば左利き用の鉈でああるはずと睨んで、富岡警察署に電話で指示し、川内駐在所を介して家族と小屋に出向いて当該鉈を富岡駅から原町駅まで列車輸送してもらい、本人に突きつけたところ「うそをついてすみません」と白状した。署名させて平裁判所に事件送致した。二週間後、判決が下りて通報があった。入獄中に終戦を迎え、戦後釈放された。
 十九年七月八日、若松連隊から補助憲兵として遠藤泰一、小檜山善毅、吉田、有賀の四名が原町分隊に転属されて来た。
 十九年七月三十日、原町飛行場の杉本正治(滋賀県)の「双襲」機が、大甕村雫(しどけ)で空中操作訓練中、燃料ポンプ故障により片肺停止し錐もみ、原町東方海上に墜落。殉職した。
 十九年八月八日、杉本川口弘太郎少尉が10mの高さから失速し飛行場内に胴体着陸。意識不明の事故。
 十九年八月十二日、谷口少尉が不時着負傷事故。川口少尉と同様の状況。
 十九年八月二十日、松本逸男(佐賀県)の「双襲」が高平北原の岸壁を敵空母に見立てた超低空飛行訓練で海面に接触沈没。殉職した。
 十九年八月二十八日、佐藤品男(群馬県)原町飛行場着陸復行中に失速不時着し、殉職。
 編注。「双襲」とは、陸軍二式復座戦闘機「屠龍」を対艦襲撃機として使用した機種。鉾田飛行学校のうち原町分校は「襲撃」科目だったので、99式襲撃機を「単襲」と呼んで区別し、キ45を「複座襲撃機」と呼んだ所以である。戦争末期には双方とも多くが特攻に使用された。
 渡辺幸太郎の水死検視の回想。
 ある夏の頃、鹿島町の烏崎で陸軍の偵察機による事故で漂着してきた某曹長の死体の検視をした。検案書を作成してもらうために立ち会った中村町の鎌田医師もこの様な損傷の激しい死体は初めてだ、と言った。
 渋佐の海岸辺りだったか、松島海軍航空隊司令の漂流した遺体が海岸に打ち上げられ検視に行かされた。この時の遺体は立派なもので、さすが武人だと思った。

陸軍二式複座戦闘機
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%BC%8F%E8%A4%87%E5%BA%A7%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F

双襲 勤皇隊