川俣山木屋の思い出

「小学校のほとりの小川に、水芭蕉が咲いています。見に来ませんか」という葉書を、小学校の音楽の教師からもらったのが、川俣町山木屋を最初に訪問したきっかけだった。
福島市の音楽コンサート、川俣町のコスキン音楽祭に通い知り合った音楽教師には、多くの教え子がいた。一学年が一クラス。隣接する小学校から中学校まで、すべての子供が顔なじみで、卒業式謝恩会にも招待されて幼い顔まで知っている。
秋祭りには三匹獅子の踊りがあり、冬には田んぼを凍結させたスケートリンク、春先の新緑のみずみずしさ、夏の清流と水芭蕉。山木屋は桃源郷だった。
牧畜に、養鶏に、川俣軍鶏の飼育に、通勤のメカニックにと、教え子たちは立派な勤労青年になっていた。
それが今、自分の努力と異なる原因で問題に悩んでいる。
老いた親と、幼い学齢期の子供への責任も加えて。
東電原発事故による山木屋の女性の自殺をめぐる裁判で、初の企業賠償責任を認める判決が出た。
それであの桃源郷が戻るわけではないが、美しい故郷の思い出を、これ以上こころない控訴で、汚して欲しくない。

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