民間事故調(福島原発事故独立調査検証委員会)調査・検証報告書による体験記。
 「翌三月十二日、朝七時頃になって津波の状況を見に、南の方向にある富岡漁港に向かった。富岡川に津波が上がり、富岡漁港に下りて行く手前で橋は流され、道はなくなっていた。そこからは富岡漁港、富岡駅、駅前に開発した住宅地などが一望出来たが、見えたのはまるで空襲にあったように壊滅したそれらであった。
 何台かの車が止まって、そこから降りた人たちが我々と一緒に呆然とその廃墟を眺めていた…」
 「・・・家に戻ってから九時を過ぎた頃に突然、防災無線から「福島第一原発が緊急事態になりました。町民は川内村役場を目指して避難してください。マイカーで行ける人はマイカーで避難してください。近所の人も乗せてください。バスはそれぞれの集合場所から出ます」という内容の放送が繰り返された。
 6基ある第一原発のどれかの非常用デイーゼルの起動に失敗したのかなと思ったが、まさか津波で壊滅的な状況になっているとは思いもしなかった。ましてやメルトダウンなっどは想像できなかった。
 こう語るのは元日本原子力産業会参事。
 「妻にどのくらいで自宅に戻れそうかと聞かれて、長くても二三日と答えた。また地震の後に防災無線で津波の注意報意外に何も言わなかったので、第一、第二原発あわせて10基の原子炉のことはあたまの中から消えていた。
 いずれにしても日本原子力発電所に勤務していたとき、あるいはこちら(富岡)に来てから防災訓練が簡単なものばかりだったので、原発事故は最悪でもスリーマイル島の事故以下であり、ほとんどが一日か二日で収まるものとの思い込みが、私の中で出来上がっていた」

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