原町無線塔、朝日座など福島県南相馬市原町区(旧原町市)の文献を公開

Cチェルノブイリ福島調査団報告 原子力安全委員会

定例会議議事録2011.12.27.
中央合同庁舎4号館10階1015会議室
3.出席者 原子力委員会
近藤委員長、鈴木委員長代理、秋庭委員
、大庭委員、尾本委 福島大学清水副学長

(清水副学長)
福島大学の清水です。私は財政学の専攻で原子力発電と財政の問題を扱ってまいりました。
1時間ぐらいしゃべるつもりでおったんですが、短いようですから、はしょり
ながらお話をいたします。
最初に、これはもう既にご承知のことですけれども、福島の状況を幾つかデータでもって紹介したいと思って用意しました。最初のところは避難者の状況で15万人が避難しているという状況です。
それから、次のページは県外への避難者ということで、11月の半ば現在で6万人が避難している。ただ、福島県の人口は200万人おりますので、6万人といいましても3%で、
97%は別に県外へ出ているわけではないということを認識していただきたいと思います。
それから、次のページは年齢別の社会動態ということで、これは3月から9月までの福島
県に入ってきた人、出ていった人のデータです。青字が昨年、赤字が今年ということになっておりますけれども、ごらんのとおり子供、それからその子供の親の世代が著しく例年と比べて県外に出ているということがわかります。子供を連れて母親が出るというケースが典型的です。こういう事態が1年間で済む保障もないということでありまして、福島県の将来はどうなるのかということが大変懸念されております。
次のページの帰還の意志、年代別というのは、これは福島大学の災害復興研究所のアンケート調査の結果で既に報道されております。私はこの研究所の所長ですけれども、これで見ますと、34歳以下の若い年齢層でほかの人が戻っても自分は戻る気がないというものが半数に近いということでありまして、戻れるというふうになったとしても自分から進んで戻る気はないというのが若い層で多いというところが非常に問題でありまして、仮に農業ができるようになったとしても、後継ぎが戻らないということが十分に考えられるわけでありまし
て、そういう場合に除染にどれだけのコストをかけるのかということが恐らくは議論になるであろうと思われます。
そこで、我々がチェルノブイリに行った目的ですけれども、6ページにありますように、こういったことを知りたかったということでありまして、7ページが調査団のメンバーです。
これは福島県が派遣した調査団であると誤解している人がいるんですけれども、そうではあ-りませんで、私が声をかけてこれだけの人が集まったということです。研究者が15人、約半数ですね。自治体では県から2人、川内村の村長、それから地方議員や南相馬市の職員、あと協同組合関係で生協、農協、森林組合といったような人たち、それに報道関係者が同行したということでありまして、訪問先は8ページに示したものであります。ベラルーシとウ
クライナの主として政府関係機関、緊急事態省を中心にしていろんな専門家の話を聞くということで研究所、病院、それからウクライナでは原発の現地等を訪問して、最後に市民団体との交流を行ったということです。私は、実は20年前、事故の5年度に一度行ったことがありまして、これが2度目になります。
9ページは、これは説明するまでもありませんが、汚染の状況を示したもので、福島原発の場合には10キロオーダーの線ですが、向こうでは100キロオーダーになっているということで、200キロぐらい離れたところでも居住不能になっているような地域が広がっているということを表しておりまして、レベル7と言われておりますけれども、事故の規模、汚染の規模はやはりけた違いのものがあったということがわかりました。逆に言えば、チェルノブイリ級の事故が本当に福島で起こっていれば、風向き次第では首都圏が居住できないような事態になっていた可能性があるということでありまして、今度の事故の評価はそういう可能性も含めてしなければ正しくないと私は思っております。
りませんで、私が声をかけてこれだけの人が集まったということです。研究者が15人、約半数ですね。自治体では県から2人、川内村の村長、それから地方議員や南相馬市の職員、あと協同組合関係で生協、農協、森林組合といったような人たち、それに報道関係者が同行
したということでありまして、訪問先は8ページに示したものであります。ラルーシとウクライナの主として政府関係機関、緊急事態省を中心にしていろんな専門家の話を聞くということで研究所、病院、それからウクライナでは原発の現地等を訪問して、最後に市民団体との交流を行ったということです。私は、実は20年前、事故の5年度に一度行ったことがありまして、これが2度目になります。9ページは、これは説明するまでもありませんが、汚染の状況を示したもので、福島原発の場合には10キロオーダーの線ですが、向こうでは100キロオーダーになっているということで、200キロぐらい離れたところでも居住不能になっているような地域が広がっているということを表しておりまして、レベル7と言われておりますけれども、事故の規模、汚染の規模はやはりけた違いのものがあったということがわかりました。逆に言えば、チェルノブイリ級の事故が本当に福島で起こっていれば、風向き次第では首都圏が居住できないような事態になっていた可能性があるということでありまして、今度の事故の評価はそういう可能性も含めてしなければ正しくないと私は思っております。
次の10ページは、これは皆さんもいらっしゃっていると思いますけれども、右を見ても左を見ても大平原でありまして、これはミンスクからゴメリに移動する途中のバスから撮った写真であります。山というものは見えないですね。それで、大平原に木が生えていれば、それが森であるということでありまして、農地あるいは山林の形態が向こうと日本、特に福島県あたりとは全く違うということが重要な差異であると思います。
11ページは、ベラルーシの農地の汚染状態を示す地図でありまして、一番濃いところは4分の3以上がもう汚染されてしまったということでありまして、国土の約半分が多かれ尐なかれ汚染にさらされたということを示しているわけです。
次の12ページ、これは同じくベラルーシの穀物とミルクのセシウムが規制値を超えている生産高ですね。つくってしまったということになるかと思いますけれども、ミルクについて言えば、1986年、事故はこの年の4月26日に起こっているわけですけれども、50万トン以上が生産されたと。穀物については、初年度は4月の下旪に事故が起こりましたからそれ以降ということになりますけれども、30万トンぐらいです。1990年、事故の4年後にほぼ解決したという言われ方をされていますけれども、4年で何とかなったと言うべきか、4年かかったと言うべきか、そこの評価は両方あると思います。
次の13ページは、ミルクでありまして、settlementsというのは集落と訳せばいいと思いますけれども、1997年、事故の11年後からほぼ今日に至るまでpersonal farmsteadsと書いてありますので、集団農場じゃなくて個人農場で規制値を超えたミルクの生産をした集落の数ということでありまして、600に近かったのが今これだけ減ったということです。これは線量が自然に減った部分と努力して減らした部分と両方あると思います。
そこで、農地の除染についてでありますけれども、農地の表土の除去を行わないというのが方針だということで、一時実施したけれども、これはやるべきではなかったという総括をしているということであります。それは、1つは土壌の処分問題ですね。とにかく広大なものですから、非常に大量の汚染土壌が発生する。処分ができないということ。それから、農地が肥沃ではありませんで、表層を2、3センチ削っただけでも非常に農地としては価値が下がってしまうということで、結局表土の除去というものは行わない。だから農業は放棄したのかというと、必ずしもそうではありませんで、汚染した土地でいかに農業するかということに関していろいろと努力をしておられるというわけです。基本的なところは、地図を作成するという作業でありまして、メッシュをつくって細かい汚染の地図をつくると。ただ、細かいといいましても、平均11ヘクタールといいますから、日本とはやはりスケールが違うわけです。それぞれの区画ごとにどういう核種がどのぐらい存在しているかということを きか、4年かかったと言うべきか、そこの評価は両方あると思います。
次の13ページは、ミルクでありまして、settlementsというのは集落と訳せばいいと思いますけれども、1997年、事故の11年後からほぼ今日に至るまでpersonal farmsteadsと書いてありますので、集団農場じゃなくて個人農場で規制値を超えたミルクの生産をした集落の数ということでありまして、600に近かったのが今これだけ減ったということです。これは線量が自然に減った部分と努力して減らした部分と両方あると思います。
そこで、農地の除染についてでありますけれども、農地の表土の除去を行わないというのが方針だということで、一時実施したけれども、これはやるべきではなかったという総括をしているということであります。それは、1つは土壌の処分問題ですね。とにかく広大なものですから、非常に大量の汚染土壌が発生する。処分ができないということ。それから、農地が肥沃ではありませんで、表層を2、3センチ削っただけでも非常に農地としては価値が下がってしまうということで、結局表土の除去というものは行わない。だから農業は放棄したのかというと、必ずしもそうではありませんで、汚染した土地でいかに農業するかということに関していろいろと努力をしておられるというわけです。基本的なところは、地図を作成するという作業でありまして、メッシュをつくって細かい汚染の地図をつくると。ただ、細かいといいましても、平均11ヘクタールといいますから、日本とはやはりスケールが違うわけです。それぞれの区画ごとにどういう核種がどのぐらい存在しているかということを
調査して、それから土壌の質も調査するということで、その状況に見合った作目を選んでつくるというのが基本的な対忚の方法です。
15ページは、これはロシア共和国ですが、ブリャンスクというところのある地域の森林の汚染地図で、ここに四角く区画をつくっておりますけれども、詳細に汚染の状況を測定した上で、そこで森林をどう利用するかということになります。
次の16ページを見ますと、この地域に関して、同じ地区ではないですかね。ちょっと形が違いますかね。キノコです。キノコはかなり汚染が高いと
いうことで、今でも食べられないものが多いようですけれども、同じキノコでも種類によって随分違うわけです。移行係数というものが異なっておりまして、したがって、この地図をつくった上で、この地区のこの辺のこのキノコであれば食べられるとか、そういうことになるわけであります。
こういう細かい調査をした上で、あるいは作目ごとのいろんな移行係数を細かく見た上で食べられるものを食べる。だから、森林の除染というものについては、これはもうできないという前提に
なっておりますので、そういう形で対処しながら、あとは放射線の量が下がるのを待つというのが基本的な農業の対処の仕方ということになろうかと思います。
次の写真は石棺の写真であります。
やぐらを組んでおりまして、これは20年前にはなかったものですけれども、補修しているように思います。これがだんだん傷んでくる。20年前に行ったときには、内部の温度は大体100度だと言われました。しかし、今回聞いてみましたら37度まで下がっているということです。ただ、ほこりがまだ出るということで補修しなければいけない状態だという話でした。
次の18ページは新しい石棺、石棺とは呼ばないかもしれませんが、要するに外国の技術と資金を動員してこういうものを組み立てて、すっぽり今の石棺を覆うことになるわけです。
これができ上がってから内部の古い石棺を解体して処理するということになります。
19ページは、これは4号炉の内部の模型ということになりますが、こういうものを見せられました。
これは圧力容器の中を見られるように切った状態になっていると思います。上にあるひも状のものが燃料棒ということになると思いますけれども、近藤先生、こういうふうに浮き上がった状態になっているという意味なんでしょうかね、これは。
(近藤委員長)
それは燃料棒を入れていた圧力管ですが、そうでしょうね。
(清水副学長)
中におさまっているのではないので、ちょっとこれは驚きましたけれどもね。なっておりますので、そういう形で対処しながら、あとは放射線の量が下がるのを待つというのが基本的な農業の対処の仕方ということになろうかと思います。
次の写真は石棺の写真であります。やぐらを組んでおりまして、これは20年前にはなかったものですけれども、補修しているように思います。これがだんだん傷んでくる。20年前に行ったときには、内部の温度は大体100度だと言われました。しかし、今回聞いてみましたら37度まで下がっているということです。ただ、ほこりがまだ出るということで補修しなければいけない状態だという話でした。
次の18ページは新しい石棺、石棺とは呼ばないかもしれませんが、要するに外国の技術と資金を動員してこういうものを組み立てて、すっぽり今の石棺を覆うことになるわけです。
これができ上がってから内部の古い石棺を解体して処理するということになります。
19ページは、これは4号炉の内部の模型ということになりますが、こういうものを見せられました。これは圧力容器の中を見られるように切った状態になっていると思います。上にあるひも状のものが燃料棒ということになると思いますけれども、近藤先生、こういうふうに浮き上がった状態になっているという意味なんでしょうかね、これは。
(近藤委員長)
それは燃料棒を入れていた圧力管ですが、そうでしょうね。
(清水副学長)
中におさまっているのではないので、ちょっとこれは驚きましたけれどもね。
こんなふうになるというのは、下のほうでかなり大きな爆発が起きないとこうならないので、ちょっと私は、そこまで余り突っ込んで聞かなかったんです。
それで、この4号炉の廃炉をどうするんだということについて質問してみたんですけれども、どうも見通しがないようでありまして、この新しいドーム状の覆いをつくった後で解体するというんだけれども、この処理の仕方はどうなんだと質問してみると、この新しい石棺は100年耐用年数があるから、
100年のうちには方法が見つかるだろうという非常に悠長な回答しか得られなかったんです。
それから、1、2、3号炉ですけれども、これは20年前に私が行ったときには1、2、3と稼動しておりまして、事故から5年後なんですけれども、動いておりまして、1991年の9月です。その後しばらくして、2号機で火災が起こってもう廃炉だという話になった後、1、3が動いておりまして、2000年に3号が最終的にとまったんですね。その1、2、3のほうの使用済み燃料の燃料プールからの運び出しがまだ完了していないようであり
まして、だからそっちのほうも3号機がとまってから11年たっているんですけれども、まだそこまで行っていない。
いろいろ質問してみたんですけれども、当初7,000人働いていた労働者が今は3,500人。でも、3,500人が働いているということですよね。そ
れで、失業を心配しているような、そういう気配がありまして、だから廃炉作業をのんびやっているのかもしれないという邪推をしたくなるような、大陸的な感覚といいますか、自然の減衰を待つというような雰囲気がかなり感じられました。
次の20ページ、これはチェルノブイリの民家の内部でありまして、非常に著しく破壊されております。これは人為的に破壊されているわけでありまして、その理由がよくわからないんですが、どうも空き巣が入って、金属という金属をかっぱらっていくようでありまして、それがこういうことになるのかなと。それにしてもちょっと破壊の状態が極端ですが、日本の場合、今は警戒区域になっているところの家屋がどうなのかというのは心配なところであ
ります。
湿気の多い木造の家ですから、かなり早く傷むのではないかということが心配されます。
21ページ、これはベラルーシの汚染地域に住んでいる人の数と集落の数の推移でありまして、1992年、事故の6年後から4年ごとにゾーニングの見直しをしております。92
年現在で185万人が住んでいた。これが114万人にまで減りました。集落の数も3,500から2,400まで減ったということです。これは住民が出ていっているわけではなくて、汚染地域そのものが縮小しているということの結果だと思います。ベラルーシだけでまだ114万人が汚染地域に住んでいるということをあらわしているわけです。
次のページ、22ページですけれども、これはチェルノブイリにいつごろできたんでしょいた労働者が今は3,500人。でも、3,500人が働いているということですよね。それで、失業を心配しているような、そういう気配がありまして、だから廃炉作業をのんびりやっているのかもしれないという邪推をしたくなるような、大陸的な感覚といいますか、自然の減衰を待つというような雰囲気がかなり感じられました。
次の20ページ、これはチェルノブイリの民家の内部でありまして、非常に著しく破壊されております。これは人為的に破壊されているわけでありまして、その理由がよくわからないんですが、どうも空き巣が入って、金属という金属をかっぱらっていくようでありまして、それがこういうことになるのかなと。それにしてもちょっと破壊の状態が極端ですが、日本の場合、今は警戒区域になっているところの家屋がどうなのかというのは心配なところであります。
湿気の多い木造の家ですから、かなり早く傷むのではないかということが心配されます。
21ページ、これはベラルーシの汚染地域に住んでいる人の数と集落の数の推移でありまして、1992年、事故の6年後から4年ごとにゾーニングの見直しをしております。92年現在で185万人が住んでいた。これが114万人にまで減りました。集落の数も3,500から2,400まで減ったということです。これは住民が出ていっているわけではなく
て、汚染地域そのものが縮小しているということの結果だと思います。ベラルーシだけでまだ114万人が汚染地域に住んでいるということをあらわしているわけです。
次のページ、22ページですけれども、これはチェルノブイリにいつごろできたんでしょうか、モニュメントでありまして、消滅した集落あるいは村落といいますか、町、自治体の名前が墓標のように連なっております。私どもは、地方自治体はどうなるのかということに関心があったものですから、住民が移住した場合の村はどうなんだと質問してみたら、それはなくなりますと言われました。日本の場合には、例えば大熊町が会津若松のほうに役場が
移転して、住民も分散しておりますけれども、依然として大熊町の住民であることは変わらないわけです。住民登録はそこにあり、自治体のサービスを継続して受ける建前になるわけですけれども、向こうではそうはなっていないようでありまして、つまり日本にあるような地方自治のシステムが向こうには存在していないということであります。
事故の起こった当時は社会主義だし、ベラルーシはいまだにやっぱり社会主義のシステムが濃厚にありまして、随分日本とは状況が違うということがわかってきました。
23ページですけれども、基本的に日本と違うのは土地が国有であるということであって、住民は国有地から国有地に移るだけです。政府は土地、住宅、仕事を移住した先で手当をするということになります。日本の場合には土地が私有地でありますので、自分の土地を置いてとりあえず避難という形にならざるを得ない。避難先で仕事を自分で探さなければいけないというようなことでありまして、そこが基本的に違うということです。
自治体についても先ほど言ったとおりでありまして、とりあえずはなくなると。復活する
ことはあるんじゃないかと思いますが、まとまって移住して、まとまって戻っ
たというケースはいまだにないという説明でありました。
そ れ か ら 、 住 宅 の 除 染 に 関 し ま し て は 、 政 府 の ま と め た レ ポ ー ト に、除染(decontaminationと書いてありますけれども)、除染によって生じた個人の資産の損失は国が補償すると書いてありました。除染で個人の資産が損なわれるというのはどういうことかということを確認したんですが、要するに壊して埋めるんだと。壊すというのは、前に行ったときにも質問して聞いたんですが、要するに家が残っていると住民が戻ってきてしまうということが1つの理由だということです。
では、なぜ埋めるんだということについては、火災を懸念していると。火事が起こって汚染が広がることを警戒するということだと思います。住宅の屋根は汚染が高いので、まとめて埋めるという話でしたので、埋める場所でもめることはないのかと聞きましたら、それはだれも住んでいない国有地だからもめることはないと言われました。これも日本とは随分違
うわけです。日本では住宅が、向こうでも住宅そのものは私有財産のようですけれども、向こうは住宅も含めて国が手当をするということです。かなり単純といいますか、除染に関してはやり方が日本ほどデリケートではないということはよくわかりました。
24ページ、これは汚染地帯のゾーニングでありまして、これはベラルーシのものです。
5つに分けておりまして、一番下は現場から一番近いところでExclusionになっておりまして、立ち入り禁止になっております。これは線量の多寡にかかわらず立ち入り禁止になっています。それから、2番目でPrimaryresettlementですね。これは第一次移住地区と言いますが、その外側がSubsequent resettlementですね、第二次移住圏。これはover 5、5というのは年間のミリシーベルトでありまして、年5mSvを超えるところは基本的に居住できないということになっております。その上にright to resettleというのがありまして、これは移住する権利を有するということです。移住に伴っていろいろと国の手当があります
ので、移住したければ移住してもよろしいと。それなりに国が面倒を見るという意味での権利ということになります。これが1から5mSvということになっていまして、その外側ですね。定期的な放射線管理の必要な地域ということになって、1mSv未満。だから、上の2つのゾーンに人が住んでいるということになるわけですけれども、95%は一番上のゾーンです。1mSv未満のところに住んでいるようでありまして、1から5のところに住んでいるのは5%にとどまるということになります。
注意しなければいけないのは、その右のほうにセシウム以外にストロンチウム、プルトニウムが基準として挙げられているというところでありまして、これは日本の場合にはストロンチウム、プルトニウムは、地上にはほとんど降っていない。あるけれども、ほとんど無視していいぐらいの微量であると言われておりまして、私もそれは信じておるわけでありますが、チェルノブイリの事故の場合にはストロンチウムやプルトニウムが相当出ているということで、日本とは事情が違うようであります。
あと、欄外に書きました避難の基準ですけれども、これは事故当100mSvという基準が設けられて、翌年に30mSvまで下げて、翌年にさらに25mSvまで下げたと。
今は上の表にありますように、相当低い基準でやっているわけですけれども、当時はこういう状態だったということになります。ですから、日本は20mSvからスタートしておりますので、チェルノブイリのケースと比べればかなり厳しいところから始まっているということが確認できるわけです。
2つのゾーンに人が住んでいるということになるわけですけれども、95%は一番上のゾーンです。1mSv未満のところに住んでいるようでありまして、1から5のところに住んでいるのは5%にとどまるということになります。
注意しなければいけないのは、その右のほうにセシウム以外にストロンチウム、プルトニウムが基準として挙げられているというところでありまして、これは日本の場合にはストロンチウム、プルトニウムは、地上にはほとんど降っていない。あるけれども、ほとんど無視していいぐらいの微量であると言われておりまして、私もそれは信じておるわけでありますが、チェルノブイリの事故の場合にはストロンチウムやプルトニウムが相当出ているという
ことで、日本とは事情が違うようであります。
あと、欄外に書きました避難の基準ですけれども、これは事故当時100mSvという基準が設けられて、翌年に30mSvまで下げて、翌年にさらに25mSvまで下げたと。
今は上の表にありますように、相当低い基準でやっているわけですけれども、当時はこういう状態だったということになります。ですから、日本は20mSvからスタートしておりますので、チェルノブイリのケースと比べればかなり厳しいところから始まっているというこ
とが確認できるわけです。
それから、次の25ページです。1μS/hで戻れますかと。これは川内村村
長がベラルーシの政府に行ったときにずばり質問してみたものです。それに対する回答は、空間線量は参考になりませんと。あくまで被ばく線量の問題だということで、リスクの97%は内部被ばくだと。
しかも内部被ばくの97%(あるいは別のところでは70という数字が出たんですが)は食物経由であると。したがって被ばく線量はコントロールできるという話で、このとおりであれば非常に対処はしやすいということで、ほっとする材料ではあるんですけれども、この97%というのは余りにも高過ぎるんです。
次のページで、これは11月17日の朝日新聞に載った図を引っ張ってきましたけれども、世界平均、日本平均で内部・外部被ばくはどのぐらいの割合なのかと。これは自然放射線ということになりますけれども、世界平均と日本平均を比べて、まず0.9mSvぐらい世界平均のほうが高いんですね。それから、内部・外部で見ると、日本は外部被ばくのほうが大きい。内部被ばくでラドンの吸引量が尐ないということだと思います。相対的には食物から入ってくる内部被ばくのほうが日本の場合には大きいということが確認できます。それにしても95というのは極端です。
1つ考えられるのは、先ほども言いましたようにプルトニウムとかストロンチウムが結構あって、これは内部被ばくのリスクが非常に高いということで、特に内部被ばくに慎重になっているということは考えられます。この辺はもっと確認しなければいけないと思っております。
27ページはコマリン村というベラルーシの汚染地域にある村、これは大体現場から30キロぐらいですけれども、そこの学校に行きました。ベラルーシでは50カ所に情報センターというものを設けておるようでありまして、ここの村では学校が情報センターになっている。このおばあさんがセンター長になっている農家の人ですけれども、この人が要するに線量の測定の指導をして、学校自体が副読本を持っておりまして、授業の中で放射線の教育を
やっておりまして、原子力発電の教育じゃなくて放射線の教育ですけれども、それでもって子供が食べ物はこのぐらいまで抑えなければいけないというようなことを教育されるわけです。そして、ここではかっているのは子供たちの自宅の食材です。自宅で食べている食材をはかって確認する。だめなものはだめ、いけるものはこのぐらいだったらということで親に伝えようというのがここでのやり方で、これは非常に有効な方法だと私は思いました。
この円筒形の機器が幾らぐらいの値段なのかということはちょっと気になるところでありまして、どうも福島市が購入したものが100数十万円かかっていて、ちょっと高いんじゃないかと思うので、これは福島市のすべての学校に入れてくれと私、市長に進言したんですが、もっと安い値段でないとあれかなと思います
それで、こういった内部被ばくの管理を徹底することによって、ここに書きましたように、事故の5年後には1mSvを達成したと。5年かかったと言うべきかもしれませんけれども、
子供についてはほとんど無視できるぐらいのところまで管理ができているという説明でした。
28ページですが、情報、避難に関しましては、チェルノブイリの事故の場合にプリピャチからの避難が非常に大規模に行われたということで、確かに避難が始まってから3時間で終わったということでありまして、日本みたいに自家用車でてんでに逃げていくということではなくて、大型バスで秩序整然と避難したということが言われておりますけれども、しかし、避難の始まったのは事故の36時間後であったということで、現場から3、4キロのところのプリピャチですけれども、普通にその間、住民は被ばくしながら生活をしていたということです。
情報については、私が前に行ったのはゴメリ州のベトカという村、住めない状況になっておりますけれども、その汚染の状況を知らされたのは事故から2年たった後であったと聞きました。だから、きちっとした汚染地図を公表されたのは2年後であったということのようでありまして、日本でもいろいろとデータがきちっと迅速に公開されなかったというようなことを言われていますけれども、これはしかし、全然チェルノブイリの場合と比較にはならないということは言えると思います。日本はとにかく建屋の爆発をほとんどリアルタイムで
テレビで見ていたわけですから、そこが違うと。日本の事故とチェルノブイリの事故はどう違うかと質問してみましたら、これは向こうのお医者さんの回答ですけれども、避難が早かったということと、ヨウ素の摂取量が食生活の違いから日本人の場合には多いので、恐らくはチェルノブイリで起こったような子供の甲状腺がんが多発するという事態は余り心配しなくてもいいのではないかというのが向こうの人の評価でありまして、そのとおりであれば大変幸いだと思います。
29ページは、これはチェルノブイリ博物館に展示されているもので、この真ん中の2枚の文書は事故の当日に現地からキエフの政府に届いた事故を知らせる通知ですね。それで、キエフが汚染される可能性があるということを警告しているものですけれども、これが公開されなかった。新聞がありますが、これは3日後の新聞でありまして、赤いマークをしたところがチェルノブイリの事故を知らせる報道記事ですが、これは一面ではないんです。5月1日のメーデーは普通に行われたということで、極めて国民への情報伝達がなされなかったということで問題が大きかったわけです。この博物館ではその
ことを大変強調しております。
この博物館は政府の博物館ですけれども、かつてのソビエト連邦政府とは違うということかでありまして、日本でもいろいろとデータがきちっと迅速に公開されなかったというようなことを言われていますけれども、これはしかし、全然チェルノブイリの場合と比較にはならないということは言えると思います。日本はとにかく建屋の爆発をほとんどリアルタイムでテレビで見ていたわけですから、そこが違うと。日本の事故とチェルノブイリの事故はどう違うかと質問してみましたら、これは向こうのお医者さんの回答ですけれども、避難が早かったということと、ヨウ素の摂取量が食生活の違いから日本人の場合には多いので、恐らくはチェルノブイリで起こったような子供の甲状腺がんが多発するという事態は余り心配しなくてもいいのではないかというのが向こうの人の評価でありまして、そのとおりであれば大変幸いだと思います。
29ページは、これはチェルノブイリ博物館に展示されているもので、この真ん中の2枚の文書は事故の当日に現地からキエフの政府に届いた事故を知らせる通知ですね。それで、キエフが汚染される可能性があるということを警告しているものですけれども、これが公開されなかった。新聞がありますが、これは3日後の新聞でありまして、赤いマークをしたところがチェルノブイリの事故を知らせる報道記事ですが、これは一面ではないんです。5月1日のメーデーは普通に行われたということで、極めて国民への情報伝達がなされなかったということで問題が大きかったわけです。この博物館ではその
ことを大変強調しております。
この博物館は政府の博物館ですけれども、かつてのソビエト連邦政府とは違うということかもしれません。
30ページ、今回の調査で考えたことをまとめて申しますと、チェルノブイリに学ぶというときに試行錯誤から学ぶということが大事であって、向こうでやったことのすべてが間違っていたわけではないし、すべて正しかったわけでもないわけですね。そこが大事だと。それから、違いを踏まえること。地政の違い、農業の形態の違い等もきちっと踏まえなければいけない。それから、25年前にはなかったものがいろいろあるんですね。何よりも知識がある。それから、いろんな測定機器等もあります。医療も発達しております。その違いもあ
るということです。彼らに25年かかったことを私どもが25年かける必要はないということです。それから、25年後
のチェルノブイリと今の福島を単純に比較するのも妥当ではないということも言えると思います。先ほど避難の規制値、基準についても順次下げていったと。これはALARAの原則に従ってこれをやってきた。日本でもそのようになると思います。今20mSvですけれども、だんだん下げていくということですね。こういうことを行うことになる。比較するときにチェルノブイリのどの時点の数値と比較するかということが(中略)

(清水副学長)
今つくっておりまして、今現在つくっている報告書はとにかく聞いてきたこと
を忠実に再現するということですね。評価とか分析とかそれはさておいて、30人も行って
いますから、いろんな評価分析はあり得るので、とりあえずヒアリングしたことを正確に再現したいということで、1月中には何とかまとまると思います

3.11南相馬

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