原町無線塔、朝日座など福島県南相馬市原町区(旧原町市)の文献を公開

浪江高校 3.11東日本大震災と原発事故災害の体験記「幸あるわれら」

浪江高校 3.11東日本大震災と原発事故災害の体験記「幸あるわれら」

一学年女子 KS
避難所での生活では、やることがあまりなく、かといって自由に過ごせるわけでもなく、ただ何とも言えないような日々だった。しかし、そこで生活することにより得るものもあったと私は考えて居る。人を思いやる心や、集団生活の大切さ、不断の生活がどれほど恵まれていたのか。家族や友人の存在がどれだけのmのだったのか。政府の対応の遅さ、それに日々いらだちを募らせる人々。人生の中のほんの短い一部の時間の中で、本当に沢山のことを思い知ることができた貴重な日々だった。

一年女子WA
 四か月ぐらいを避難所で暮らしました。最初の一週間ほどは体育館での生活で寒さをしのぐのも大変でしたが、なにより食事に困りました。津島の体育館では一日に三人で一つのおにぎりを渡され、ご飯もろくに食べることができませんでした。

一年女子YY
 最初のうちはおにぎりだけしか出ない食事が嫌でしたが、生活に慣れていくうちに、常に知らない人と同じ空間にいるということが一番の苦痛でした。特に私がいた避難所は年配の方が多く、普段と違いすぎる環境にとてもストレスを感じました。それから避難所にボランテイアの方々がたくさん来てくれるのですが、どこか同情めいた視線がいたたまれず、それもストレスに感じました。

一年女子WM
 卒業式を終えてまもなく私は震災に遭いました。その時はまさか今自分が住んで居た津島から出て行かなければならなくなるとは思ってもいませんでした。
 津島から避難すると言われたのは十二日の夜でした。その時のことを私はよく覚えています。正直とてもショックでした。住み慣れた土地や家から何の前触れもなく出て行かなければならないということは、考えたことがなかった分辛かったです。

一年女子YK
 母と田尻にある自宅で被災した。強い揺れが収まらない中、家具が倒れるのをミナガラ、今まで考えて居た春休みの計画が雪崩のようにおちる食器とともに消え去ってしまった。町内にある祖母宅にいる当時小学一年生の子と五歳の弟の元に行くと、一切のいとこはぶるぶる震え、家も床屋の器具もすべて壊れ、ガラスも割れている状態だった。だが奇跡的電気が通っていた自宅で祖父祖母、母の妹夫婦の合計三世帯で一夜を過ごした。水は通ってなかったので、大量の氷を鍋で融かして水を作りインスタントラーメンを食べた。さらに追い討ちをかけるように起こったのは原発事故だった。

一年男子 UK
 僕は、その日の卒業式が終わった後、ボウリング場で友達と遊んでいました。このとき、あの震度6強の地震が来て、次の日には避難することになりました。
 僕が避難した所は川俣町の体育館でした。その日の夜、救急車のサイレンが聞こえ、急いで身に行くと具合を悪くしているお年寄りが運ばれていました。

一年女子 KM

3.11南相馬

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