原町火発 環境アセスメントを読む 1989.6

昭和六十三年九月十九日、原町青年会議所が、同市内ロイヤルホテル丸屋で九月例会を開催し、講師に仙台コンベンション・ビューロー専務理事の西岡勇氏を招いてレクチャーを受けた。
仙台からの視点に欠けている南相馬地方にとって、仙台の重要性を見直すこと、東保K全体を見据えた地域活性論でなければ町おこしにならぬ、として十二月四日に開催の第四回地域づくりシンポジウムのためのプレ・レクチャーだった。
ところが、西岡氏は漫談風の回想を展開しながら、自分が東北電力の社員であった時に、原町に発電所を建設するための下見に来た事がある、というエピソードを開陳した。それが山田貢市長時代(昭和三十年代~四十年代)のことであり「この時の調査は後の地方開発につながらなかったが」と断りながらも、「こう言っては何だが、現在の原町火力が遅れているおかげで、訓練センターのような施設も出来てよかったですね」といったニュアンスの感想を述べた。
この時この講演を聴く席にいた筆者は、ドキリとしたものだ。
西岡氏は、東北全体の核としての仙台において、最も国際的な情報ネットワークの頂点に位置する職場にあって今はその役から離れた二十年前の原町地域調査の職務を回想し、淡々と語っているのではあるが、筆者はこの地で生まれ育ち、この地で生活しながら地域開発をみつめ、考え、論じ、行動する者だ。彼にとって過ぎ去った二十年前の出来事は、私にとっては過去ではなく、同じこの町と私自身に刻まれて残る座標なのである。
地域開発を外から、企業から見る視点と、内側から地域から見やる視点との、基本的なズレと落差を感じてショックを受けたのである。
しかもなお、彼の発言が含んでいるニュアンスが、おおかたの地元住民の意識に共鳴するものであるだけに、なお複雑なのだ。
二十年前、私はこの町の高校生であり、この土地は開発の対象ではなく、母胎そのものであった。
火発と原発との違い  開発を前に、専門的科学的に調査された環境アセスメントは、数値と図表が満載した膨大なデータブックだが、この土地で生まれ育った私を含め地元住民にとっては、大気質も陸生海生の生物も、季節の風向きも、すべてが肌で接する母胎である。
むしろ、時代の屈曲点で、わが土地をふりかえってみる一つの感動さえ環境アセスの中にはある。
環境影響調査書は、相馬市役所から浪江町役場まで七つの自治体で六月八日まで住民縦覧に供されている。
時同じくこの期間中に、愚安遊佐という青森下北出身の芸人が、反原発をテーマに相双地方で五夜連続の一人芝居の上演を行う。
五月二十三日、浪江町南棚塩公民館を皮切りに、小高町、原町市、鹿島町、相馬市と、二十七日にかけての上演だ。
主催はそれぞれ地元の演劇愛好家で原発に反対の文化人である。
しかし彼等は、火力建設の反対運動の先頭に立つわけではないし、穏健である。
環境アセスの一般説明会には、土建会社の社員が動員されて会場を埋め、文化人たちは反対原発芝居の上演会場へ詰めて、それぞれ粛々と行事はセレモニーのように進行し、幕を閉じた。
熱くも冷たくもなく、声を荒げる分けでもない。
福島三区浜通り地方は、黙々と日本国の縁の下の役目を果たすかのようだ。世界一の原発ステーションを抱える相馬双葉地方。福島第二原発のトラブルd、原町火力建設は相対的に浮上し注目を浴びつつある。
環境アセスを読みに、原町火力準備本部へ行った。難しい用語がたくさん出てくるので、火力発電書関係の専門用語辞典を原町市立図書館に借りに行った。火発に関するハンドブックのような小型の手引きが、かろうじて一冊あった。あとは、原発関係の図書がずらりと並んでいる。火発の本は殆どない。

地域開発といいながら、地域の姿の真実を知ろうという努力が、地域の側よりも企業の手中にあるうちは、地域の行方が企業の事情にほんろうされるのは、無理もない現状だと思った。

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