島尾は、その体験をデフォルメするというより、体験しないことを書かないばかりか、むしろ体験をひかえめに語っているというふうな印象を与える小説にしあげている。
 彼は、原体験を何度も別な作品としてえがき、結実させている。終戦から半年後の、最も初期の作品である「島の果て」をはじめとして、即時待機の空気を感じさせる極限状況は、くりかえし作品の中にあらわれ、やがて「出孤島記」「出発は遂に訪れず」「その夏の今は」といった作品へと、えんえんと執拗にその原体験を作品化しているのである。
 これらのことから、一見お伽噺ふうの「島の果て」の文体の成立を考える場合、一つの仮説が可能だ。すなわち島尾は、自己の原体験を満足できる形の作品として書き上げることを願いながら、その都度その都度、書ききれずに、その時点における体験の文学作品化をおこなってきた。その最初の営為として行われた作品が「島の果て」であった。したがって、この作品は島尾にとっては決して満足できるものではなかったのだ、と。
 「島の果て」の童話的発想、その方法、文体はどこからくるのか。
 「島の果て」という小説は、昭和二十一年一月に書かれている。島尾の原体験との時間的な距離は、たったの六か月である。この、六か月前に味わった強烈な、どんでんがえしの人生の局面から半年後にその体験を作品化する作者の心のありかたは、尋常ではありえないであろう。普通にみて、六か月という時間は決して長くない。重大な体験、それも死を当然のものと受け入れていた日常から生き残ってしまったという稀有な体験からの半年間という時間は、ことさらに短いものではないのか。
 時折の夢などで、つい想い出してしまうのではないか。それほど熾烈な体験を作品化するには、あまりにも生々しすぎたためなのかもしれない。体験をリアルに描くことよりも、体験の要点と、決死の特攻作戦発動までの経過の進行劇をついにはプログラムのようにピンで留めておくために細部は克明であり、文体は体験を生々しく思い出してしまうあせりの気持ちを抑えるためにむしろ慎重に、まどろくしくはあるが童話的文体を使った、そんなふうなのだ。
 「島の果て」は、それでは子供向けの物語かというと、まるきりそうではない。こどもむけとして読んで読めないことがないけれども、あくまで戦争と個人の一騎打ちの、差し違えようとの気迫さえ感じさせる恐ろしい作品である。よく読んでゆくと、文体さえおきかえると、それはそのまま真剣な、というよりも深刻な純文学になる、という仕掛けなのだ。
 なぜそれでは最初からあまりに身近であり、素材としても熱いものであった。島尾が「生き延びてしまった」という意識で人生をみるみかたは、それ以後すこしも変わっていない。「うしろめたさ」というようなものが、戦時下という状況や、家庭内での日常生活あるいは友人との葛藤からつねに同質のテーマとしてにじみ出してくる。その原型がどうやら日本の敗戦体験というショッキングな歴史的な局面を、自己の最も深いところで体験したというそのことにそのまま重ねられる。あるいは何らかの形で結びついていると言える。
 
 

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