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 島尾の一連の病妻物は、偶然書かれたにすぎないが、そのなかでの島尾の私小説作家としてののめり方はすさまじい。島尾の作品は島尾がみずから課する規定としての文学観にパスする。つまり、赤らめた顔の奥に、したたかな自信があるような気がする。
 私小説と私生活のあいだ、ということで言えば、たとえば「流棄」のような作品では、島尾と夫人とがノイローゼのようになって、島尾の両親の郷里である福島県の相馬地方へ行く。そこでくびれて心中しようとするくだりは、おそらく寸分たがわぬいきさつがあったろうし、現実の生活をそのまま書いたであろうことは容易に推察できる。
 夫人の入院に至るまでの、夫婦の葛藤は、どうやら想像力によって構築される文学世界をはるかに越えた体験であったらしく、この場合も島尾の終戦体験と同様に、先行する体験にみちびかれてゆくように、作品は現実を整理しながらコピーの感光紙にうつしとるように書かれてゆく。いや自動的に作品が出来てしまったとはいえない。現実の体験を最後までたたかいぬかぬかぎり、彼は生き残れない筈であった。体験を忘れて新しく生きるということをしなかった昭和二十一年はじめの島尾の生き方は、その後も同様に受け継がれた。それが島尾敏雄の生き方だったのだ。
 「家庭が崩れる」という切迫した意識の目を現実をとらえ、ついには守りきれずに一家もろとも坂をころげて残酷な試練の闇の中へのみこまれてゆく。
 実は島尾の文学の最大の主題は、そうした事件ないしはその体験によって「揺れ動く微細な心の、悲しくあわれなほどの格闘なのだ。
 かつて、そして今日なお多くの恋愛小説が書かれ、読まれているという現象の構造は、一口で説明すれば、恋愛こそは人間の心を揺り動かす永遠の材料だからであり、文学が人間を、そしてその生き方を描こうとするものであるかぎりにおいて、その現象は不変である。
 島尾の「恥」や「みじめさ」に目をうばわれてはならないのだ。彼は、それらを材料にして小説を書く、いわば「恥」でさえ彼にとっては武器なのである。
 全知の存在が登場人物を見下ろしている小説を島尾は書かない。それは島尾の文学の、二十世紀的なあたらしさであり、前衛的な手法を駆使して日本文学の未来を指示していると奧野健男と森川達也は手放しあるいは慎重に言及しているが、私は依然として吉本隆明の「わたしは島尾敏雄の文学の新しさなどという批評をあまり信用しない。それは私小説的な古さといってもおなじことなのだ。」という言及になじんでいる。
 

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