フクシマノート#10  二上英朗
ワンダーランドにタイムスリップする野馬追祭と小高 
○新しい時代の小高を模索する
 芥川賞作家で福島第一原発事故の被災地最前線の南相馬市原町区に昨年移住し、実子を地元高校に入学させて、週に一回パソナリテイとして南相馬災害FM(ひばりエフエム)の番組を担当する柳美里さんがいる。南相馬の被災者を取材し次々に新しい小説を発表している彼女が最近ツイッターにつぶやいた。

柳美里 @yu_miri_0622
避難指示が解除されたら、南相馬市小高区に土地を買いたいな。
小さな書店を開き、店主になりたい。
わたしのサイン本を常時販売し、わたしの推薦図書に手書きPOPを付けて販売する。
文房具も置く。
そしたら、小高の街づくりに、少しは貢献できるかな。
小説を書いて、お金貯めなきゃ。 (注1)

 終戦70年の昨年は嵐のようにやってきて嵐のように過ぎ去った。今年2016年3月11日で東日本震災は5年がたち、注目されていた複合災害地域・福島県浜通り地方の常磐線沿線のうち不通区間の小高駅までの開通と南相馬市の原発事故避難命令の解除が7月12日と公式決定され政府が発表した。あわせて、飯舘村も来年3月末までの全村避難の解除が国と村の間で合意した。双葉郡の川内村、葛尾村、富岡町など個別の自治体ごとに交渉と日程のすり合わせが同時進行で行われている。三陸から徐々に復興バブルは南下し、手つかずの双葉郡の手前の「小高が波打ち際」の状況だ。
 5年という歳月は、政府にとって一段落の意味づけがあるようだ。
 しかし当初は今年4月を見込んでいた国の避難解除の打診に地域住民に反発の声が強く、調整の窓口の自治体とのすり合わせで7月にずれ込んだのは、南相馬の地域のシンボルである野馬追祭礼の日程が7月23日から25日というスケジュールを双方が強く意識したものだろう。

○動物の野生化天国になった浜通り地方
 もともと原発事故にともなう社会現象のうちでも、動物をめぐる問題は直後から注目されてきた。チェルノブイリと同じく、フクシマでも「避難は三日ぐらいだろう」と思われて避難者も軽装で犬猫のペットは家に置いてきた。多くの悲喜劇が各家庭に出た。ペットを飼えない避難先の体育館や仮設住宅などでの小動物問題は、昨年の常総洪水災害でも今般の熊本県を中心に発生した九州の震災でも起きている。ペットは法はともかく一般の意識では家族扱いだ。
 農家で飼っていた家畜の殺処分という理不尽な場面は住民の心を痛めた。牛や豚などが野生化して、無人の廃墟と化したゾーンに跋扈し、双葉郡の富岡町や大熊町、浪江町で市街地の川べりを悠然と牛たちが群れをなし、肥育用のダチョウも駅前の横断歩道を歩いていた。
 福島市では猟師などの人間が放射線量の高い山間部に立ち入らなくなってから熊やイノシシなどが里に町に降りて来て、畑も家屋も荒らすというのが家屋荒廃の主因にもなった。

○熊出没は阿武隈の動物たちからの抗議
 南相馬市博物館は耐震性の高い公共施設であるため避難者が殺到して救援に当たったが、震災以後初の本業の「阿武隈高地の生き物たち」展示が行われ、被災者を受け入れて緊急避難施設から本来業務に復帰した。最近、福島市周辺に頻繁に熊が出没しているが、その原因などについて同展示を担当した稲葉修学芸員から、くわしく聞いた。
 原発禍で猟銃を持ったハンターが山野に入っていなかったので、人間の脅威を感じない人間に馴れた新世代の熊が跋扈しているらしい。ほかにも獣害も多く猪、あらいぐま、ハクビシン、猿、狸などが増えて、自然の中で生態系のバランスが狂っている。これも、人間の都市優先偏重の傲慢によるものだ。人間だけの都合で生態系を壊してよいはずがない。
 立ち入り禁止地域の人家には豚が棲みついたり、野生化したペットやネズミの巣になって荒廃し、帰還を望んでいる住民が住めない自宅に愕然とした。賠償金ばかりの議論でなく、被災地の実像の真実公開こそが福島再生の最低条件である。
 新しい原発基地は金さえ積めばいくらでも作れる。だが自然は買い戻せないのだ。

○ 動物救済でも「馬」だけ優先という土地がらと特殊事情
 そんな中で特別だったのが「野馬追」だ。西は山中郷と呼ばれた飯舘村、北は宇多郷と呼ばれる新地町・相馬市、北郷が南相馬市の鹿島区、中郷が主祭場の雲雀が原というかつての広大な放牧場だった中央部の原町区、小高郷が戦国時代に古い居城のあった小高区。南は双葉郡浪江町から大熊町の熊川までが藩境の標葉郷と呼ばれる旧相馬中村藩の版図である。500頭の騎馬行列を擁する戦国時代の絵巻物が動態で演じられる祭りだ。(注3)
 相馬地方に残る伝統行事の相馬野馬追祭礼は国の重要無形民俗文化財に指定されたこの地方の最大の観光イベント。この祭りに出場するためだけに馬を飼っているという人が少なくない地方である。気鋭の映画監督松林要樹氏は311がきっかけで南相馬市で津波避難者の夫婦に寄り添って定点観測でプライベートフィルム風の作品を撮影して「相馬観花」を発表し、野馬追を通した馬と人間に焦点を当てたドキュメンタリー映画作品「祭の馬」で「馬喰(ばくろう)」と呼ばれる職業に着目して相馬地方の風習と業種の特殊性に切り込んだ。河出書房新社から同題「馬喰」を書きおろしで執筆して文才も発揮した。

○「祭の馬」の衝撃 ドキュメンタリー監督松林要樹
 馬が、全身で、語りかける。
 2007年の春、まだ雪の残る青森の牧場で生まれた黒鹿毛の牡馬は、ミラーズクエストと名づけられた。2010年9月18日、中山競馬場でデビューするが、結果は16頭中16着。その後も勝つことができず、2011年1月2日の水沢競馬場でも9頭中9着。翌日、地方競走馬登録を抹消された。通算成績は、4戦0勝・獲得賞金0円。引退後は福島県南相馬市へ移され、未勝利馬はそこで余生をおくることになった。
 そして、あの3月11日を迎える。
 激しい津波が彼の馬房を襲った。濁流から奇跡的に生還したものの、不運は続いた。東京電力福島第一原子力発電所の事故により、水と食料を絶たれ、飢え、渇いた。さらに、けがをしたおちんちんが大きくハレたまま、もとにもどらなくなってしまったのだ。
 そこに、一人の映画作家がカメラを持って現われた。彼の名は松林要樹。
 ミラーズクエストを一目見た松林は思った。
「これは、他人ごとではない――」
 震災直後の福島県相馬地方から、雪の北海道日高地方へ、そして再び相馬野馬追の夏へ。ミラーズクエストと松林の旅は続く。映画は、馬と人とが培ってきた長い歴史を紐解きながら、とんでもない時代に生まれてしまったミラーズクエストの運命を優しく、可笑しく、 まなざす。馬たちの瞳もまた、静かに私たち人間の姿を映している。(注2)
(公式サイトのイントロダクションから引用)

 おもいしろくないわけがない。松林監督は南相馬への行き帰りの途中で、その出入り口のような福島駅に近い拙宅に寄ってくれる。現在彼は原町や浪江からブラジルへ移民した日系一世たちを追いかけて撮影し、東北の寒村の貧しい歴史の行き先を地の果てアマゾンで「浪江出身の老移民一世8人に会って来たよ」と報告して来た。
 避難命令の出たゾーンから人間はすべて消えて、家畜のすべてが殺処分を余儀なくされたが、わざわざ野馬追のために馬だけは特別扱いされたという地域の特殊事情は、この地方の特別なシンボルである「野馬追」を残したいという地元の願望を背景にしていた。
 今年の相馬野馬追は、7月24日から25日までの土日月の三日間行われる。

 ○小高の奥義と野馬追の虚実
 ところで、野馬追祭礼はじつは明治以降に創作された部分がほとんどで、伝統文化として貴重なのは小高区における三日目の部分である。
 野馬追初日。「お繰り出し」の日。旧藩主家の後裔である相馬陽胤さんが総大将として相馬市で出陣式が行われ渡御行列と呼ばれる騎馬行列が繰り広げられる。
 相馬野馬追とは、旧奥州中村藩(俗称で相馬藩とよばれるが、これは歴史的に間違い)の領土版図の全体の地域で、同時進行で行われる出陣が、中ノ郷の雲雀が原めざして集まって、そこで歴史絵巻が繰り広げられる一大ページェント。千年前の平将門の故事に由来すると伝承されるが、実際には14世紀に鎌倉政府の成立に寄与した千葉家が相馬を名乗って創始した奥州相馬家の行事として放牧された馬を神に奉納する神事祭礼である。
 個々の儀式に意味があり、全体が複雑に組み合わさって、ひとつの統一された巨大な式典祭礼に構成され、精神性が高まってゆくプロセスにも意義がある。
 基本的には三妙見神社の神輿を供奉する騎馬軍団の行列が、北は相馬市の中村城下から、南は双葉郡から小高に結集して隊伍を組んで原町まで集まる。
 南相馬市の南の末端であり、しかし伝統文化としての意義は戦国時代に首府のあった小高の行事は、、野馬追発祥のもっとも伝承文化のエッセンスにもかかわらず、ほとんどの人が見逃している。震災という苦渋の状況の中で、なおも祭礼を護り支えてゆく住民の覚悟と未来への意思がそこに示されている。
 表面的な観光的要素に目がゆきがちだが、実は祭礼の命とはこうした根幹の基礎的な部分にこそ、最大重要な武士の倫理観に通低するストイックさを、原発事故以後の小高区住民の決意と情熱とが持続する文化伝承の芯にあるのだ。そこに目を留めたいものだ。
 メーンイベントは中日の原町区郊外の雲雀が原における神旗争奪戦というアトラクションであるが、これは明治以降に考案されたもの。幕藩時代までには花火で旗を「打上げたりはしなかった。鹿島区での総大将お迎えの儀式というのも、小高町時代に始まった藩公行列というのもつい最近、発展家の元町長が「やらせ」た新イベントだ。
 武士階級が廃止され、鎧兜が無用のガラクタになった。武士の魂と言われた日本刀も美術品としてしか値打ちがなくなって、ほとんどすべての武具が売り払われた。現在、相馬野馬追に参加する人の着用する鎧兜は、ほとんどが新たに入手したもので、残念ながら相馬古来と証明されるものは僅少だ。
 それでも、他の都市で戦後に創始された観光用の「時代まつり」と謳われる武者行列で着る映画イベント会社の高津衣裳などのロケ用張りぼての小道具に比べれば、本物の古色蒼然たる本物の鈍い輝きに戦国の迫力はしのばれる。

 ○小高の町復興を新旧のせめぎあい
 福島第一原発の爆発現場から10kmから20km地点の小高区というのは、南相馬市の南三分の一を占める。避難命令の解除をめぐって秒読みのいま、人口ゼロから帰還者を促進しようという国と市とは日程を調整してきた。当初は四月初旬にと申し入れていた国に「いまだ除染が完了しない駆け込み解除は許されない」との地元住民の反発を受け、せめぎあいの住民説明会が揺れに揺れていた。
 自分の人生設計を狂わせた原発事故。将来が見通せなくて不安な被災・避難住民にとって、国の指針と自治体の具体的な行政対応には、敏感すぎるほどの注意義務を傾注している状況で、かすかな情報を得るのに、地元新聞とNHKローカルの福島放送局の夕方のニュースは欠かせない。
 そんななか水面下での住民意識調査と住民総意のプロセスとはいえ、あるグループによる役場で行われた「秘密会」というものには違和感を覚えた。
 小高区全避難住民の意向を市執行部に上げるプロセスにおいて、旧来の元町長だの議長だの現職県議だのが早期解除反対住民の陰にいて、扇動なのか集約なのか自分たちの隠然たる影響力を発揮しようと画策してるのが丸見えで、しかも裏でNHKに情報をリークしておきながら、行政では秘密会と称して一般住民と解除推進派の若い世代中心の運動家と「対立」を際立出せている手法がいかにも古く、いかにも陰険に映る。
 明るく将来に立ち向かう世代の足を一生懸命に引っ張っている。だから政治家が嫌われることが分かっていない。こういうのが権力志向な面なのです。さんざん、昔の小高町長選挙の構図で見た政争の構図が依然として生き残っている。定点観測者として町長の汚職辞任やら南相馬市合併の暗躍などのあたりを雑誌に報道してきた目から見ると、その背後で「われこそは影の町長」と自認していた地方政治プロたち。「過去の亡霊たちが復讐に来た」のか、と小さな驚きを抱く。南相馬小高区のゾンビだちの群れよ、と。

○原住民の反発も新住民の夢も
 もっとも作家柳美里に対しては、「311以後にマスコミに注目される南相馬にやってきて、南相馬住民を代表するような形で持論を展開しているように見える印象に心よからず思っている」という住民もいるにはいる。
 声なき住民にしてみれば、芥川賞作家の南相馬移住というできごとにおおかたの共感もあれば、「有名人の知名度だけで発言権を独占している」という原住民らしい反感もある。メデイア一般に対する不信感と反感に根差しているものだ。
 「東日本震災に乗じたスポットライトの当たる原発被害最前線という場所に乗り込んで来て、ことあるごとに南相馬市代表のような顔して発言している。いつここを去って次の震災地に行くのか」という声さえ聴いた。
 居住と転居の自由がある。発言の自由の一方で、意固地な住民の印象の自由もある。外来NPO一般に対して拒絶を示す二十代の若者が吐露した感想にも一理あって、すくなから共感を感じている自分をも発見するときもある。

 ○原住民の反発とプライド
 311が起こった時がちょうど合併から5年だった。今年は鹿島町、原町市、小高町の一市二町が平成の大合併で南相馬市が誕生して10年になる。
 わが故郷原町区は東方に車を走らせれば5分で太平洋に着き、西に走れば15分ですぐあぶくま台地の山麓を登り、緑したたる横川渓谷のダムに到る。すなわち盆栽のごとき桃源郷だった。30分北に走れば相馬市に至り、30分南下すれば双葉郡浪江町だ。
 青少年の流出も医療の過疎も、駅前はじめ町中の商店街がシャッター街になっているのも、すでに数十年前からの現象だった。そんな小さな小宇宙で地域新聞とタウン誌を発行してきた定点観測者だった文筆家が見たのは、デスクに命じられて初めて訪問してカメラに「絵」を撮らせてレポーターはわかったような語り口で「人のいなくなった町」を紹介し、これが放射能を恐れて大部分が脱出したゴーストタウンの実態だと見当違いを全国に語って聞かせる姿だった。
 複合災害の最前線の報道に対しては最初から「何をいまさら」という印象がないわけでもない。南北に長い福島県浜通り地方は、北から相馬郡新地町、相馬市、南相馬市、双葉郡、いわき市と並ぶが、その中央に位置する大熊町の福島第一原発の爆発地点から等距離の同心円で全住民への避難命令が出された20km地点の内外で、ここまでは百万円、ここからゼロ円という、ひどい賠償金額の差が新たなジェラシー感情を惹起して、住民の不和も招いた。共同体の崩壊も家庭不和も生活の不都合も自己責任、とみなす中央政府の非人情、原因企業に対する東京電力という企業に対する憤懣が、すべて隣人への妬み嫉みへと転嫁されたことで、言い知れぬストレスが内在した5年間だった。
 むしろ311以後のマスコミの異常な集中豪雨的な報道が、この商店街をすべて集約する形で「南相馬の」と枕詞がついただけで着目されるということのほうが、ゆがんだスポットライトで異様な光景をみせている。
 五年ひと昔で南相馬に増えたもの。除染作業員。交通事故。火事の多発。
 311から満五年の南相馬関連情報は、日刊ゲンダイの「病気になれない」、女性週刊誌のキャンペーン記事など医療問題で目に付いた。これはあらためて論じたい。
 人気タレントや、落ちぶれた芸人まで、また世界各国からの芸術家や哲学者や政治家などが次々に南相馬に来訪する。実験室のフラスコの中の化学反応のごとき絢爛たるありさまだった。NPOの活動家がときめいて目立った。
 多くの外来の人物が脚光を浴びる。そんな中、東京八王子から故郷に戻ってきた青年がいる。地元の歴史が好きだという青年は、「故郷いまや荒れなんとす」の屈原のごとき感性で実家に戻ってきて、自分探しを転換した。
 昨年末、JR原ノ町駅のトイレ付近で除染作業員が地元高校の女子生徒に対し暴行した事件があり容疑者の19歳除染作業員が逮捕された。
 思い余った地元の若者S君(27)は地元紙福島民報にこう投書していた。

 駅前交番があるにもかかわらず起きた事件。たまたま付近にいた男性が通報し逮捕されたが、もしその男性がいなかったら女子高生は誰にもわかることなく除染作業員にトイレで暴行を受けていただろう。しかし南相馬警察署は一体なんのために駅前交番を作ったのだろうか? 一般市民が利用する公共施設、街の中心にいて住民の心の安心を与えるはずが何故かそこには警察官がいない。パトロールも忙しいのはわかるが県外からの応援も含め上手く活用出来ないのだろうか?
 震災後、南相馬で暮らしていると除染作業員をはじめ復興関係の業務で外からここにきて暮らしている方による事件、事故、万引き報道等が新聞やテレビなどで報道され目に入る。こんなことをやらかすのは一部の人だと自分は思っている。除染作業や復興作業の為に汗水流す姿も見ている。1日も早い南相馬の復興と、震災前のようなゆっくりとした暮らしに戻りたい。

 また地元の主婦Kさんは、除染作業員が作業服のまま店内に押しかけコンビニショップで昼食や夕食を買いに他県ナンバーが駐車場を埋めることや、他県で作人事件を起こした犯人が実は福島県内で除染作業員をしていた等多くの問題をはらんでいる混乱を、身近なタッチでブログにアップしている 多くの外来のNPOで活躍する若手のボランテイアたちも立ち位置を変えながらも、新住民として刺激的なイベントを展開している。
 帰還事業に応じず、故郷を見限って新生活を新天地に求める三分の二の旧住民に代わって、新住民が新しい血を小高にそそぐことは必然的な流れだ。

○平将門は反中央権力のシンボル
 県は小高工業と小高商業の両高校を合併して新名称「小高産業技術高校」を発足させると発表した。国は、高木復興副大臣を通して7月にずらして避難命令の解除を打診して住民説明会に臨んだ。すでにJR東日本は常磐線の開通を見越して修復工事を急いでいる。6月中に試運転列車を走らせた。地方新聞には「小高の火の祭り復活」と、7月の野馬追祭に客を呼ぶ心配一色である。
 これは震災前まで開催されてきた野馬追の夜の小高の花火大会である。半谷清寿が農事の虫送りを観光化させて明治に統一し始めたものだが、先人のそれは忘却されている。歴史と郷土史の担当の私には、その分野でこそ小高に通っては、なにかと小姑のような繰り言を語るのである。
 野馬追を地域個性として誇る相馬の人間にとって、相馬の遠祖将門は、輝かしい祖先神であり怨霊であった。
 天皇を中心とする公家たちの京都中央権力に対する反逆者として「将門記」という古書に、坂東の武士たちを糾合して反抗し「新皇」となろうとして俵藤太によって討たれ、怨霊になって京都の刑場から首が飛んで関東まで「わが体は何処か」と探し求めたという怪奇な伝説が流布し、この首が落ちた場所が現在の神田明神だという信仰が江戸時代に流布した。
 南北朝時代に相馬氏の小高城は、霊山の北畠顕家軍と戦って、その後裔まで南朝天皇系を絶滅した武家でもある。徳川幕府十五代慶喜が大政奉還するまで、日本は天皇よりも将軍のほうが権力者だった。いま東京中央権力に刃向かうだけの反逆心が相馬の血に薄い事こそが、心配されるのだ。
 桜井市長が「南相馬市は政府の兵糧攻めに遭っています。世界のみなさん助けてください」とyoutube に投稿してNews Week 世界を動かす100人に選ばれた時点までタイムスリップする必要が野馬追の里である南相馬市にはありそうだ。

注1) 柳美里ツイッター https://twitter.com/yu_miri_0622?lang=ja
注2) 「祭の馬」公式サイト http://matsurinouma.com/
注3)相馬野馬追執行委員会公式サイト http://soma-nomaoi.jp/

(初出:『ゲンロンβ #5』2016年8月12日号)

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