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豊田有恒の「原発の挑戦」と同級生高木仁三郎

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ユニークなSF作家として知られる豊田有恒が「原発の挑戦」(足で調べた全15ヶ所の現状と問題点)という本を出している。
中学生の時に親友だった高木仁三郎は、原発反対派の急先鋒だが、その豊田は推進派である。その豊田にして次のように書いている。
「福島には、県立の原子力センターがある。他県では、公害衛生研究所が兼務している仕事を、自治体がひとつのセンターを作って行っている。原子力の先進県ならではのことである。ただ、この原子力センターへ行ってがっかりしたことがある。」
「この原子力センターに、本来の監視業務とは別に、原発PRの展示場があることである。原発を監視し、取り締まる側の自治体の原子力センターが、なぜ原発のPRをやらねばならないのだろうか?
原発PRのサービスホールなら、電力会社にちゃんとしたものがある。いわば目付けにあたる自治体が、原発のPRをするというのは、筋が通らない。万々一、事故が起った際、原発を一つ穴の狢むじなになって、口裏を合わせるかもしれないと、住民から勘繰られかねない。」
原発賛成で推進派の論客にして、このように指摘する。しかし、この論理で扱われる「住民」とは、自主的判断を有する主権者としての誇りを持っている住民というイメージを付与された、いわば都会人と同格の地方の住民である。
あまりに貧しすぎた歴史のために、千載一遇のチャンスとばかりに、何はともあれ(原発だろうが、何だろうが)現金が入るのであれば、とにかくもらってやれ、という貧乏人根性の身にしみた地権者や、先祖伝来の土地だから手放したくないのに町のボスだの親類だのに説得されて、町政や県政にしぶしぶ協力したあげく、その原発翼賛的態度がけしからぬ、と革新団体に叩かれるような気の毒なC級戦犯的地権者や、諸々のタイプの「住民」の実像は、豊田氏のいうところの「住民」とは重ならぬ。
前衛政党が送り込んでくる原発反対運動家が持ち上げたがる「目覚めた住民」と、豊田氏のいう抽象的「住民」は、奇しくも同じなのである。
しかし、なぜ自分たちは東京圏の人間たちのための犠牲にならなければならぬのか、という疑問は強い。
「福島県で、良く聞く声に、東京人のエゴの問題がある。福島は、原子力の協力的な県である。ただし、そこにある世界最大の原子力エネルギー基地は、地元をサービスエリアとする東北電力のものではなく、東京電力のものである。いわば越境したような形である」「地元でよく聞く声に、東京人の東北新幹線反対を、エゴだと決め付ける非難があった。(この本の初版は昭和55年)福島県は東京の電力を負担してやっているのに福島~東京を一時間半で結ぶ新幹線に反対するとはなにごとかというわけである。ぼくにはその主張がよく判る。なぜなら、ぼく自身、地方出身者だからである。」
いみじくも豊田氏は、自分が地方出身者だから東京人のエゴがよく判る、と言う。豊田は群馬県生まれだ。群馬や茨城、栃木といった関東の県は、東京圏内にありながら陽の当らないエアポケットである。国道も鉄道も通っていない市さえ関東地方にはあるのを読者はご存知だろうか。東北よりも田舎くさい、関東の地方都市というのは意外な落とし穴だが、東北の田舎らしい田舎「相双」は、「うらみつらみ」と「ひがみ」で、卑屈になる必要はもはや何もない。
東京の電力事情をやしない、また電源三法交付金の多くの部分を消費し、ただひとりハイリスクを背負い、スルーマイルやチェルノブイリのような悪夢が起ったとしても、緊急避難のための道路が整備されている訳でもないし、このような献身的な犠牲の上に日本全体の繁栄があるのならば、相双住民は、もって瞑すべし、だ。
我らは何がもらええるのか、と考えるなかれ。我らは何を与えることが出来るのか、と考えよ。
堂々とせよ、相双住民。要求すべきは、堂々と要求すれば良いのだ。
我々の浜通り三区は、百年パラダイムの中のせこせこした発展であるよりは、あえて千年パラダイムの中の、被支配、被搾取の歴史の苦渋を味わい尽くし、次の千年後に、原発の廃墟を遺すのか、人の住まぬ楽園をのこすのかをじっくり考えようではないか。
まずは、我らの歪んだ時間軸からはみ出した選挙区が、燦然と輝く勲一等の星を産み出したことを、万歳三唱しようではないか。(二上英朗)1986政経東北

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