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東北の血と風土から1  「死霊」に関して

東北の血と風土から① 「死霊」闇を背負った作家
                二上英朗
 「死霊」に関して
 ――おお、わらわしちゃいけませんよ、岸博士。僕が訊いているのは、二千三百年前の……まあ、百年前のでも好いが、或る思索者の思想についてなんです。つまり――ある瞬間でぴたりと機能をとめてしまった思想は、恥知らずではないかと訊いているんです。あっは僕は検察官になって、あらゆる幽霊の幽霊としての誕生日を呵責なく取調べてみたい。何処か薄暗い部屋で幽霊とぴたりと眼を見合わせた瞬間、ふむ、僕はいきなりあびせかけてやるさ―恥を知れ、とね。そして、首くくりの手伝いでもしてやる積りなんです。あらゆる幽霊が百年もの歳月を許されながれ、幽霊たり得た瞬間から思索も成長もやめてしまって、新たな啓示も表わし得ずに、老いたる繰言のみ僕の前に展げるなんて、それこそ首くくりに値する屈辱だ。     (「死霊」より)
 「死霊」という、あまり読み易くはないが面白そうな本を読んでみたなかで、最初に印象的だと思った箇所をノートに抜き書きしておいたのが、前掲の一部一節である。
 最初は、その理屈っぽい理屈が大層気に行って印象的であったのである。ノートを読み返してみて、三輪与志のいうところの「ある瞬間でぴたりと機能をとめてしまった思想は、恥知らず」だという、その「思想」一般の恥知らずを糾弾する時、まず念頭にあるのは「二千三百年以前の…」アリストテレスのことだろう。それは文脈の流れからいって、例にあげられたアリストテレスの名前が明記されていることによっても確かである。
 そして「…まあ、百年前のでも好いが、或る思索家の思想についてなんです」という時に「或る思索者」とは任意の思索者である訳なのだが、それとなく無意識的に語られる「百年前の」思索者は、名前はあげられていないが、当然マルクスのような気がする。
 ここでマルクス云々と脇道にそれることは虚構としての「死霊」を読む正しく穏当な読み方とは言えないだろうが、過去の思索者の思想に対して総括的に批判の眼を向ける三輪与志の念頭にあるのは、読んでゆくうちにますます強く特定の思索者マルクスであるというふうに感じてくるのである。
 あるいは別な言い方をすれば、任意の「あらゆる幽霊が百年もの歳月を許されながら、幽霊たり得た瞬間から思索も成長もやめて新たな啓示も表わし得ずに、老いた繰り言のみ僕の前に展げる」という文章の「幽霊」という言葉の項にマルクスという特定の思索者と思想を代入してやれば、たちまちこの文章は、魔的な霊界の幻想世界の物語であることをやめ、泣き腫れた太陽の下で戦争と内乱と革命と反革命を繰り返している私たちの棲む地球上の「現実」と呼ばれる世界への感想になる、という仕組みで成り立っているような気がするのだ。
「共産党宣言」は一八四八年二月末のロンドンで公刊された。「死霊」が世に出たのは昭和二一(一九四六)年十一月「近代文学」誌上においてである。前後約百年の歳月を求めることができる。

日刊浜通日報 昭和56年(1981)11月7日掲載

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