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卒論 島尾敏雄の体験と作品のあいだ

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昭和50年度卒業論文 担当教員小田切秀雄先生
論文題目 島尾敏雄の体験と作品のあいだ その私小説的手法について
文学部日本文学科 二上英朗

 (むかし、世界中が戦争をしていた頃のお話なのですが――)
 最も深く鮮明な原体験とも言うべき島尾敏雄の終戦体験から数えて、半年しかたっていない昭和二十一年に、彼は「島の果て」という戦後初の作品をこう書き出している。(トエはバラの中に住んでいると言ってもよかったのです。と言うのは薔薇垣の葉だらけの、朽葉しきつめたお庭の中に、母屋と離れてぽちんとトエの部屋がありました。ここカゲロウ島では薔薇の花が年がら年中咲きました。その部屋の廻りは木の廊下がめぐっていて……)
 この作品は、意識的にお伽噺めかされて書き始められる。しかし、後の一連の作品の原型が、すべてここに組み込まれていると言ってよい。すなわち、島尾敏雄は「全長五メートル、横幅一メートルばかりの、飛行機エンジンをとりつけたボートで、そのへさきに二百三十キログラムの炸薬を装置し、ただひちりの搭乗員もろとも敵の艦船に体当たりすることを目的とするために考案された特攻兵器」の震洋艇を持つ部隊の特攻隊長であったが、八月十三日の夕方「特攻戦」がついに発動された。準備して待っていると、「発進」の命令がかからぬまま十四日を迎え、死を目前にして十五日、決定的な場面で終戦を迎えたという、その体験が、その後くりかえして描かれるところの一連の作品のモチーフとなっている。その舞台は、作品によって名前がいろいろに呼ばれるが、実際には加計呂麻島の呑ノ浦の入江に設けられた海軍基地である。
 「島の果て」のカゲロウ島は、当然ながら加計呂麻島を強く念頭に置いてこの命名であろう。作品中に登場する「トエ」と呼ばれる少女は、昭和二十年当時、作品にうかがえる状況そのままの状況下で関連のあった現夫人のミホさんをモデルにしている。モデルと言うより、ストーリーに潤色すくなく、島尾の内面からながめた主観的事実のままの体験であった。
 およそ作家にとって、自分の体験をそっくりそのまま書いて作品にしあげるということは、よほどの体験でなければお話にはならない。日本の私小説作家のなかには、これまで小説を書くために自分の生活を破滅的なものにしようとした作家があり、また多くの作家にはそのような傾向があった。
 これに対して島尾の場合には、求めずして決定的な死を目前にしながら、その死を見据えながらついに運命的な歴史の歯車のめぐりあわせによって生き延びることを課せられたという、数奇な体験があった珍しい一例である。
 たまたま戦争という一時代の狂気の下で、死と向かい合わざるを得ないという特殊な状況に追い込まれた結果、自己の希望や好みとは関係なく、万人の体験するところではない体験を持ってしまった、その体験を書いた。

つづき

卒論2

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