原町無線塔、朝日座など福島県南相馬市原町区(旧原町市)の文献を公開

フクシマノート#10 タイムスリップで古式野馬追の小高にGO!

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              フクシマ・ノート#10
          タイムスリップで古式野馬追の小高にGO!
                 二上英朗

今年、2016年3月11日で東日本大震災から5年がたち、複合災害地域・福島県浜通り地方の常磐線沿線のうち、不通区間となっていた小高駅から原ノ町駅までの開通と、南相馬市に出されていた避難指示の大部分の解除が注目されていたが、このほど7月12日に実行され、あわせて、飯舘村の避難指示も来年3月末に帰還困難区域を除く全域を解除することで、国と村が合意したと政府が発表した。12月10日には未開通だった浜吉田相馬間が開通し小高まで貫通する。浪江町も来春まで解除になり浪江駅まで開通する予定で東京オリンピックの2020年までに常磐線全線が開通する見込みだ。双葉郡の川内村、葛尾村、富岡町などでも、個別の自治体ごとに交渉と日程のすり合わせが同時進行で行われている。三陸から徐々に復興の波は南下し、現在は手つかずの双葉郡の手前の小高が「波打ち際」の状況だ。
5年という歳月は、政府にとって一段落の意味づけがあるようだ。しかし当初は今年4月を見込んでいた国の避難指示解除の打診には地域住民の反発の声が強く、調整窓口である自治体とのすり合わせのため7月にずれ込んだのには、宅地除染の遅れという主な理由のほかに、南相馬の地域のシンボルである「相馬野馬追」が開催される7月23日から25日というスケジュールを双方が強く意識したこともあるだろう。

動物の野生化天国になった浜通り地方
原発事故にともなう社会現象のうちでも、動物をめぐる問題は直後から注目されてきた。チェルノブイリと同じく、フクシマでも「避難は3日ぐらいだろう」と思われて、避難者は犬や猫などのペットを家に置いてきた。多くの家庭で悲劇が起きた。ペットを飼えない避難先の体育館や仮設住宅などでの小動物の問題は、昨年9月の関東・東北豪雨でも、今般の熊本県を中心に発生した九州の震災でも起きている。ペットは、法律上はともかく、一般の意識では家族扱いだ。
避難指示区域で、農家が飼っていた家畜を殺処分するという理不尽な場面は住民の心を痛めた。牛や豚などが野生化して、無人の廃墟と化したゾーンに跋扈し、双葉郡の富岡町や大熊町、浪江町では市街地の川べりで牛たちが悠然と群れをなし、肥育用のダチョウも駅前の横断歩道を歩いていた。
福島市では猟師などの人間が放射線量の高い山間部に立ち入らなくなってから、熊やイノシシなどが里に町に降りてきて、畑や家屋を荒廃させる主な原因にもなった。
南相馬市博物館は耐震性の高い公共施設であるため人々が殺到し避難の拠点となったが、2012年には「阿武隈高地の生き物たち」などの特別展を開催し、被災者のための緊急避難施設から本来の業務に復帰した。最近、福島市周辺に頻繁に熊が出没しているが、その原因などについて同展示を担当した稲葉修学芸員からくわしく聞いた。
原発禍で猟銃を持ったハンターが山野に入っていなかったので、人間の脅威を感じない、人間に馴れた新世代の熊が跋扈しているらしい。ほかにも獣害は多く、猪、あらいぐま、ハクビシン、猿、狸などが増えて、自然の中で生態系のバランスが狂っている。これも、人間の都市偏重の傲慢によるものだ。人間だけの都合で生態系を壊してよいはずがない。
立ち入り禁止区域の人家には豚が棲みついたり、野生化したペットやネズミの巣になって荒廃し、帰還を望んでいた住民は住めなくなった自宅に愕然とした。賠償金ばかりの議論でなく、被災地の実像の公開こそが福島再生の最低条件である。
新しい原発は金さえ積めばいくらでも作れる。だが自然は買い戻せないのだ。

馬だけは特別という土地柄、『祭の馬』の衝撃
そんな被災地の動物をめぐる状況の中で、特別だったのが「野馬追」に使われる馬たちだ。
相馬地方に残る伝統行事の相馬野馬追は、国の重要無形民俗文化財に指定されたこの地方最大の観光イベント。この祭りに出場するためだけに馬を飼っているという人も少なくない地方である。それゆえ、南相馬市の馬については、相馬野馬追に用いる馬としての公共性などが認められ、震災後、例外的に警戒区域外への移動が認められた。
気鋭の映画監督・松林要樹氏は3.11をきっかけに南相馬市で津波避難者の夫婦に寄り添い、定点観測で撮影したプライベートフィルム風の作品『相馬看花」を発表した。また、野馬追を通して馬と人間に焦点を当てたドキュメンタリー映画作品『祭の馬」では、「馬喰(ばくろう)」と呼ばれる職業に着目して相馬地方の風習と業種の特殊性に切り込んだ。松林監督には野馬追の裏側を追った書き下ろしの『馬喰』(河出書房新社)という著作もあり、文才を発揮している。

馬が、全身で、語りかける。
2007年の春、まだ雪の残る青森の牧場で生まれた黒鹿毛の牡馬は、ミラーズクエストと名づけられた。2010年9月18日、中山競馬場でデビューするが、結果は16頭中16着。その後も勝つことができず、2011年1月2日の水沢競馬場でも9頭中9着。翌日、地方競走馬登録を抹消された。通算成績は、4戦0勝・獲得賞金0円。引退後は福島県南相馬市へ移され、未勝利馬はそこで余生をおくることになった。
そして、あの3月11日を迎える。
激しい津波が彼の馬房を襲った。濁流から奇跡的に生還したものの、不運は続いた。東京電力福島第一原子力発電所の事故により、水と食料を絶たれ、飢え、渇いた。さらに、けがをしたおちんちんが大きくハレたまま、もとにもどらなくなってしまったのだ。
そこに、一人の映画作家がカメラを持って現われた。彼の名は松林要樹。
ミラーズクエストを一目見た松林は思った。
「これは、他人ごとではない――」
震災直後の福島県相馬地方から、雪の北海道日高地方へ、そして再び相馬野馬追の夏へ。ミラーズクエストと松林の旅は続く。映画は、馬と人とが培ってきた長い歴史を紐解きながら、とんでもない時代に生まれてしまったミラーズクエストの運命を優しく、可笑しく、まなざす。馬たちの瞳もまた、静かに私たち人間の姿を映している。
(『祭の馬』公式サイトのイントロダクションより)[★1]

おもしろくないわけがない。
「相馬看花」でいちはやく南相馬に乗り込み、津波被災者で原発事故20km圏内の一組の夫妻に密着してカメラを回し続けた松林監督は、私小説的なタッチと田舎の暮らしの味わいから肌触りまで呼吸するように描いて人間の共感を伝えた。商業主義や娯楽市場の売りでなく、泥臭いまでに被災地の庶民感情を掬いあげようとする視点には震災後一番乗りの試射会から好感を覚えた。
松林監督は東京から南相馬への行き帰りの途中で、その出入り口のような場所にある福島駅に近い拙宅に寄ってくれる。現在彼は原町や浪江からブラジルへ移民した日系一世たちを追いかけて撮影し、東北の寒村の貧しい歴史の行き先を、熱帯の地で「浪江出身の老移民一世8人に会って来たよ」と報告してきた。
 避難命令の出たゾーンから人間は消えて、ほぼすべての家畜が殺処分を余儀なくされたが、わざわざ野馬追のために馬だけは特別扱いされたという地域の特殊事情は、この地方の特別なシンボルである「野馬追」を残したいという地元の願望を背景にしていた。今年も相馬野馬追は、7月23日(土)から25日(月)までの3日間行われた。

野馬追の虚実と小高の儀式
相馬野馬追は、1000年前の平将門の故事に由来すると伝承され、鎌倉幕府の成立に寄与した千葉氏が14世紀に相馬を名乗って創始した奥州相馬家の行事として始まったものであり、放牧された馬を神に奉納する神事祭礼である。

旧相馬中村藩(俗称で相馬藩とよばれるが、これは歴史的に間違い)の領土版図の各地から出陣した行列が、原町区中ノ郷の雲雀ヶ原めざして集まり、そこで歴史絵巻を繰り広げる一大ページェントである。西は山中郷(現在の飯舘村)、北は宇多郷(新地町・相馬市)、その南には北郷(南相馬市の鹿島区)、中ノ郷(主祭場である雲雀ヶ原が位置し、かつては広大な牧草場だった原町区)、小高郷(戦国時代には古い居城のあった小高区)、南は標葉郷(双葉郡浪江町から大熊町の熊川あたり)が旧相馬中村藩の版図である。相馬妙見三社(原町市・太田神社、小高町・小高神社、相馬市・中村神社)の神輿を供奉する騎馬軍団の行列が、北は相馬市の中村城下から、南は双葉郡から小高に結集して隊伍を組んで雲雀ヶ原祭場地のある原町まで集まる。500頭の騎馬行列を擁する、動く戦国時代絵巻が演じられる祭りだ。[★2]
個々の儀式に意味があり、全体が複雑に組み合わさって、ひとつの統一された巨大な式典祭礼に構成され、その中で精神性が高まってゆくプロセスに意義がある。
野馬追初日。「お繰り出し」の日。旧藩主家の後裔である相馬陽胤さんが総大将として相馬市で出陣式が行われ渡御行列と呼ばれる騎馬行列が繰り広げられる。
メインイベントは中日に原町区郊外の雲雀ヶ原で行われる神旗争奪戦というアトラクションであるが、これは明治以降に考案されたもの。打ち上げられた花火のなかから落ちてくる御神旗を騎馬戦で奪い合うという行事だが、幕藩時代までには花火で旗を打上げたりはしなかった。初日に行われる鹿島区での総大将お迎えの儀式というのも、小高町時代に始まった藩公行列というのも、つい最近、元町長が「やらせ」た新イベントだ。
野馬追祭礼はじつは明治以降に創作された部分がほとんどで、伝統文化として貴重なのは小高区における3日目の部分である。
野馬追とは、野馬を追う祭りだからこう呼ばれる。戦国時代に相馬氏の居城があった小高の、現在は小高神社境内に裸馬を追いこんで白装束の取り手たちが素手で取り押さえた最初の馬を神に奉納するのが中心の祭儀。
南相馬市の南の末端ではあるが、戦国時代には首府のあった小高の行事は、野馬追発祥の地の行事としてこの伝統文化の要のひとつであるにもかかわらず、ほとんどの人が見逃している。
それでも、震災という苦渋の状況の中で、なおも祭礼を護り支えてゆく小高の住民の覚悟には、未来への意思が示されている。
表面的な観光の要素に目が行きがちだが、実は祭礼の命とはこうした根幹の部分にこそある。この祭礼で最重要とされるのは武士の倫理観に通低するストイックさであり、それが原発事故以後の小高区住民の決意と情熱によって持続してきた文化伝承の芯にあるのだ。そこに目を留めたいものだ。
武士階級が廃止され、鎧兜が無用のガラクタになった。武士の魂と言われた日本刀も美術品としてしか値打ちがなくなって、ほとんどすべての武具が売り払われた。現在、相馬野馬追に参加する人の着用する鎧兜は、ほとんどが新たに入手したもので、残念ながら相馬古来と証明されるものは僅少だ。
それでも、他の都市で戦後に創始された「時代まつり」と謳われる観光用の武者行列で着られるような映画イベント会社のロケ用の衣裳や張りぼての小道具に比べれば、古色蒼然たる本物の鈍い輝きに戦国の迫力はしのばれる。

旧住民の反発も新住民の夢も
福島第一原発の爆発現場から10〜20km地点の小高区は、南相馬市の南3分の1を占める。冒頭にも書いたが、避難指示の解除をめぐっては、人口ゼロの状態から帰還を促進しようという国と市が日程を調整してきた。当初は4月初旬にと申し入れていた国に、「いまだ除染が完了しない駆け込み解除は許されない」と地元住民が反発し、せめぎあいの住民説明会は揺れに揺れていた。
芥川賞作家の柳美里さんは、福島第一原発事故の被災地最前線の南相馬市原町区に昨年移住し、実子も地元高校に入学させている。週に1回、臨時災害放送局「南相馬ひばりエフエム」の番組のパーソナリティを務め、南相馬の被災者を取材し次々に新しい小説を発表している彼女は、最近ツイッターにつぶやいた。

避難指示が解除されたら、南相馬市小高区に土地を買いたいな。
小さな書店を開き、店主になりたい。
わたしのサイン本を常時販売し、わたしの推薦図書に手書きPOPを付けて販売する。
文房具も置く。
そしたら、小高の街づくりに、少しは貢献できるかな。
小説を書いて、お金貯めなきゃ。[★3]

もっとも、作家・柳美里に対しては、「3.11以後にマスコミで注目される南相馬にやってきて、南相馬住民を代表する形で持論を展開しているように見える印象に快からず思っている」という住民もいるにはいる。声なき住民にしてみれば、芥川賞作家の南相馬移住というできごとにおおかたの共感もあれば、「有名人の知名度だけで発言権を独占している」という旧住民らしい反感もある。それはメディア一般に対する不信感と反感に根差しているものだ。
「東日本大震災に乗じてスポットライトの当たる原発被害最前線という場所に乗り込んできて、ことあるごとに南相馬市代表のような顔をして発言している。いつここを去って次の震災地に行くのか」という声さえ聴いた。
震災後、人気タレントや、落ちぶれた芸人まで、また世界各国からの芸術家や哲学者や政治家などが次々に南相馬に来訪する。実験室のフラスコの中の化学反応のごとき絢爛たるありさまだった。NPOの活動家がときめいて目立った。
多くの外来の人物が脚光を浴びる中、東京八王子から故郷に戻ってきた青年がいる。地元の歴史が好きだという青年は、「田園まさに荒れなんとす」の陶淵明のごとき感性で実家に戻ってきて、自分探しを始めた。
居住と転居の自由がある。発言の自由の一方で、意固地な住民が抱く印象の自由もある。外来のNPO一般に対して拒絶を示す20代の若者が吐露した感想を聞いたことがあるが、そのような意見にも一理あって、少なからず共感を感じている自分を発見するときもある。

20km地点という境界、新旧住民の混乱
わが故郷原町区は東方に車を走らせれば5分で太平洋に着き、西に走れば15分ですぐ阿武隈高地の山麓を登り、緑したたる横川渓谷のダムに至る。すなわち盆栽のごとき桃源郷だった。30分北に走れば相馬市に至り、30分南下すれば双葉郡浪江町だ。
南北に長い福島県浜通り地方は、北から相馬郡新地町、相馬市、南相馬市、双葉郡、いわき市と並ぶが、その中央に位置する大熊町の福島第一原発の爆発地点から、等距離の同心円で全住民への避難命令が出された20km地点は、同時にその内側は100万円、外側だとゼロ円という、賠償金額の残酷な境界としても示され、そのことが外側の住民に新たなジェラシー感情を惹起して、住民の不和も招いた。共同体の崩壊も家庭の不和も生活の不都合も自己責任、とみなす中央政府の非人情、原因となった東京電力に対する憤懣が、すべて隣人への妬み嫉みへと転嫁されたことで、言い知れぬストレスが内在した5年間だった。
今年で鹿島町、原町市、小高町の1市2町が平成の大合併でひとつになり、南相馬市が誕生して10年になる。3.11が起こった年がちょうど合併から5年目だった。
五年一昔で南相馬に増えたもの。除染作業員。交通事故。火事の多発。
昨年末、JR原ノ町駅のトイレ付近で除染作業員が地元高校の女子生徒を暴行した事件があり、容疑者の19歳除染作業員が逮捕された。思い余った地元の若者S君(27)は地元紙福島民報にこう投書していた。

駅前交番があるにもかかわらず起きた事件。たまたま付近にいた男性が通報し逮捕されたが、もしその男性がいなかったら女子高生は誰にもわかることなく除染作業員にトイレで暴行を受けていただろう。しかし南相馬警察署は一体なんのために駅前交番を作ったのだろうか? 一般市民が利用する公共施設、街の中心にいて住民の心の安心を与えるはずが何故かそこには警察官がいない。パトロールも忙しいのはわかるが県外からの応援も含め上手く活用出来ないのだろうか?
震災後、南相馬で暮らしていると除染作業員をはじめ復興関係の業務で外からここにきて暮らしている方による事件、事故、万引き報道等が新聞やテレビなどで報道され目に入る。こんなことをやらかすのは一部の人だと自分は思っている。除染作業や復興作業の為に汗水流す姿も見ている。1日も早い南相馬の復興と、震災前のようなゆっくりとした暮らしに戻りたい。[★4]

また地元の主婦Kさんは、除染作業員が作業服のまま店内に押しかけ、コンビニショップで昼食や夕食を買いに他県ナンバーが駐車場を埋めることや、他県で殺人事件を起こした犯人が実は福島県内で除染作業員をしていたこと等、多くの問題をはらんだ混乱を、身近なタッチでブログにアップしている。一方で、多くの外来のNPOで活躍する若手のボランテイアたちは、立ち位置を変えながらも、新住民として刺激的なイベントを展開している。
帰還事業に応じず、故郷を見限って新生活を新天地に求める3分の2の旧住民に代わって、新住民が新しい血を小高にそそぐことは必然的な流れだ。

平将門は反中央権力のシンボル
国は高木経済産業副大臣を通して、避難指示の解除を7月にずらして打診し、住民説明会に臨んだ。JR東日本はすでに常磐線の開通を見越して修復工事を急いでいる。6月には試運転列車を走らせた。県は小高工業と小高商業の両高校を統合し、新たに「小高産業技術高校」を来年4月に開校すると発表した。地方新聞には小高の「火の祭」の復活と、7月の野馬追に客を呼ぶ心配一色であった。
火の祭は震災前まで開催されてきた野馬追の夜の小高の花火大会である。小高出身の実業家・半谷清寿が農事の虫送りを観光化させて明治に統一し始めたものだが、先人のそれは忘却されている。歴史と郷土史に携わる私には、こうした分野でこそ小高に通っては、なにかと小姑のような繰り言を語るのである。
前述したとおり、相馬野馬追は平将門の故事に由来する。野馬追を地域の個性として誇る相馬の人間にとって、相馬の遠祖である将門は、輝かしい祖先神であり怨霊であった。
将門は『将門記』という古書に、天皇を中心とする京都の公家たちの中央権力に対する反逆者として記されている。坂東の武士たちを糾合し、中央権力に反抗し「新皇」となろうとしたが、俵藤太によって討たれた。怨霊になって京都の刑場から首が飛び、関東まで「わが体は何処か」と探し求めたという怪奇な伝説がそこから生まれ、この首が落ちた場所が現在の神田明神だという信仰が江戸時代に流布した。
徳川幕府十五代慶喜が大政奉還するまで、日本は天皇よりも将軍のほうが権力者だった。南北朝時代に小高城を建設した相馬氏は、霊山の北畠顕家軍をはじめ、南朝側と激しく対立した武家でもある。それを思えば、いまの東京中央権力に刃向かうだけの反逆心が相馬の血に薄いことこそが、心配されるのだ。
南相馬市の桜井市長が政府の対応について「市民は兵糧攻め的な状況におかれている」「物資の搬入に窮しており、支援をお願いしたい」とYouTubeに投稿し、米タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた時点までタイムスリップして立ち返る必要が、野馬追の里である南相馬市にはありそうだ。

★1 『祭の馬』公式サイト http://matsurinouma.com/
★ 2 相馬野馬追執行委員会公式サイト http://soma-nomaoi.jp/
★3 柳美里ツイッター https://twitter.com/yu_miri_0622/status/725976842985820160
★4 福島民報読者の投稿欄「みんなの広場」2016年1月6日号

3.11南相馬

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