小学4年の頃に、PTAで親父が学級の方部委員か何かをしていたらしく、ひと夏、学校の図書館から木箱一つの移動図書というものが我が家に届いた。
夏休みのあいだ、たっぷりある時間を利用してコドモたちが地域に配布された読み本を活用して欲しいという制度ではなかったかと思う。
こんなめんどくさい読書習慣の醸成なんて、原町の田舎の子どもたちにできるわけないだろ、と思いつつ、手元にあるから手に取ってはみた。
じじつほとんどだれも借りになど来なかった。
ぼくらの遊びは、すべて屋外での彷徨である。本陣山のてっぺんから、折が沢の堤、駅の構内、貯木場、などなど。盆栽のごとき小宇宙に危険な遊び場はいっぱいあって、他人の家の庭先を獣道みたいにして縦横に自由に駆け抜けて移動する。
行動半径には、駅前の真新しい「中央劇場」という映画館があって、その庭先で、洗足の絵描きが、宣伝の巨大な似顔と見事な手書きのペンキ絵で、アメリカ映画の主人公の似顔などを巧みに書き上げてゆく「近日上映」の作品群を」、子供らが群がって眺めていたものだ。
原町にテレビという魔法の娯楽が普及しだしたのは昭和35,36年つまり1960年の日米安保の頃だ。
土曜の夜の9時から、ララミー牧場をやっていた。
日本語の吹き替えという、かつての活弁文化の後継が、電波時代にもしっかり根付いて、ベン・ケーシーとか、透明人間とか、大人も子供も同じドラマを一緒に見ていた。
くだんの本箱のなかに、分厚い「ララミー牧場」というウエスタンものがあった。
本というのは、まずあとがきの解説を読む。
訳者か解説者が、いきなり「日本ではなぜウエスタンものがなぜ流行しないか」という論を展開していた。
30分か1時間で完結するテレビならまだしも、西部劇を長編小説で読む、なんて、するわけがない。日本には時代劇という分野がちゃんとあるので、ちゃんばらならまだしも、西洋流の文化史になじみのない西部劇は、いわばアメリカのちゃんばらみたいなもの。それでも、ものめずらしさに惹かれて「ララミー牧場」の原作を読んでみたら、テレビが活劇中心のわかりやすい展開なのに比べて、小説は、中西部の荒野を追跡する、冒険でもない、キャンプ生活しながらの何週間もの、足跡を追ったり、インデアンとの錯綜だにといった生活感あふれた叙述にみちていて、小学生にも、異質な世界へいざなってくれた。一日、二日でもよみきれないので、一週間はかかる。
あの夏の、風の吹き抜ける座敷で寝転がっての読書が、けっきょく、一生の楽しみに身についた。
この夏は「フェルマーの最終定理」という分厚い数学ドキュメンタリーを読んでいる。
もっとも、風が通らない福島盆地なので、クーラーを掛けっぱなしで、ようやく立秋になった。