知者の言葉は突き棒のようであり、またよく打った釘のようなものであって、ひとりの牧者から出た言葉が集められたものである。我が子よ、これら以外の事にも心を用いよ。多くの書を作れば際限がない。多く学べばからだが疲れる。

旧約聖書の「伝道の書」最終の12章にこうある。

さいきん、からだが疲れます。「多くの書を作れば際限がない。多く学べば体がつかれる。」これは、じっさい多くの書を作ってみたものでなけば出てこないセリフです。多く学んでみなければ実感しない老後の実感です。
ぼーっと生きていれば、絶対に考えたりしない世界の言葉です。

結論から言いますと、伝道の書の第8章にこうあります。

だれが知者のようになりえよう。知者となった私だからこそいうのだ。ソロモンあるいはソロモンに仮託した筆者自身の反語ですね。

そこで「私は歓楽をたたえる。それは日の下では、人にとって食い、飲み、楽しむよりほかに良いことはないからである。これこそは日の下で、神から賜った命の日の間、その勤労によってその身に伴うものである。
 
第9章に、こうあります。

あなたは行って喜びをもってあなたのパンを食べ、たのしい心をもってあなたの酒を飲むがよい。神はすでにあなたのわざをよみせられてくれたからである。
あなたの衣を常に白くせよ。あなたの頭に油を絶やすな。
日の下で神から賜ったあなたの空なる命の日の間、あなたはその愛する妻と共に楽しく暮らすがよい。これはあなたが世に会ってうける分、あなたが日の下で労する労苦によって得るものだからである。すべてあなたのなしうることは、力をつくしてなせ。あなたの行く陰府には、わざも、計略も知識もないからである。

まあ、クリスチャンの中には、この伝道の書は、キリスト教的でないニヒリズムだと批評し否定する人もおりますが、たいていの日本人には、受け入れやすい「真理」なのではないでしょうか。

2019・8・2