川俣座という映画館の三代目で、斎藤弘治さんと淑子さん夫妻の晩年に、面白おかしい田舎の映画館の、いちばん元気な昭和30年代頃のドタバタ・ストーリーを聞き書きしてネットにアップしてものを、読んでくださったとの電話がきた。
細かな部分で、間違いがあるのをわざわざ知らせてくださった。
父親の弘治さんは2010年に亡くなり、母親の淑子さんが2013年に亡くなられた。
医科大病院に入院中と、退院後に自宅を訪ねて数回のインタビューをつないで「川俣映画館三代」というチャプターに書き、ふくしま映画100年戦後編の一部分に位置するのだが、これはこれで独立した地方史の物語である。
だれしも、生まれ故郷でのなつかしい映画館をもっているが、ファサードだけの正面だけのハリボテとバラックのごとき木造建築であるのに、本質は闇の中にうごめく映像の「夢の工場」こそが、ぼくらの想像力がいかに人生に活力を与えてくれるか、目標を与えてくれるかを痛感する。
戦中戦後に、近衛十四郎と松方弘親子や、南条文若といった南春夫の親子、歌舞伎座スタッフなどが、長い時には川俣座の部屋に住み着いてひと月も寄食していたことさえあった。